あきらめていた入所者にとって「希望」の学校があった

森和男さんと歌ったのは、邑久高校新良田教室の校歌。森さんが通った療養所の中の高校です。

かつて長島愛生園に設けられた入所者のための高校が「邑久高校新良田教室」(1955~1987)でした。
新良田教室は強制隔離で将来をあきらめていた入所者にとっての「希望」でした。

意欲ある者が全国から集い学び、卒業生の多くが社会復帰しましたが、社会では差別・偏見を恐れ、療養所にいた過去を打ちあけられなかったといいます。
(沢知恵さん)
「(社会復帰しても)ハンセン病のことは誰にも言わなかったでしょ」

(森和男さん84)(昭和24年=1949年入所)
「それは絶対タブー、言わない。学校のことなんか話せないし校歌なんかもちろん、もう忘れてしまいたいという気持ちもありましたからね」














