世界的作家の問題作『箱男』

原作の『箱男』は、戦後の日本を代表する作家の一人、安部公房(1924~93)が1973年に書いた小説です。私は読んだことはなかったのですが、『砂の女』などはあまりに有名で、「日本を代表する作家」と思われていた人です。映画のパンフレットには「2012年、読売新聞の取材により、ノーベル文学賞受賞寸前だったことが明らかにされた」とありました。「世界的な作家」と言っていいでしょうね。

原作者の安部公房さん=ⓒ新潮社

安部公房(あべ・こうぼう)
1924年生まれ。東京大学医学部卒。1951(昭和26)年『壁』で芥川賞を受賞。1962年に発表した『砂の女』は読売文学賞を受賞したほか、フランスでは最優秀外国文学賞を受賞。戯曲『友達』で谷崎潤一郎賞、『緑色のストッキング』で読売文学賞を受賞するなど、受賞多数。1973年より演劇集団「安部公房スタジオ」を結成、独自の演劇活動でも知られる。海外での評価も極めて高く、1992(平成4)年にはアメリカ芸術科学アカデミー名誉会員に。1993年急性心不全で急逝。(『箱男』パンフレットより)

箱男「わたし」役を演じた永瀬正敏さん=ⓒ2024 The Box Man Film Partners

主人公は、大きな段ボール箱をかぶって路上で暮らす男。「頭からかぶると、すっぽり、ちょうど腰の辺まで届く」段ボールで、洗濯機を入れるようなサイズです。小さなのぞき窓を開けて、目だけ外からは見えている…何とも変わった主人公です。演じるのは永瀬正敏さん。実は27年前に、石井監督は永瀬さん主演で映画化を試みたのですが、トラブルが起きて中断してしまいました。映画化は、2人の念願だったのです。

それから、箱男になろうとする「偽医者」役に浅野忠信さん。さらに重要な脇役で佐藤浩市さん。「これをインディーズ映画と言うんだろうか」というほどです。

永瀬正敏さん演じる箱男=ⓒ2024 The Box Man Film Partners

安部公房の原作には、「目立つ特徴があったりすると、せっかくの箱の匿名性がそれだけ弱められてしまう」(新潮文庫、9ページ)とあります。見ていると知られずに人を観察する。匿名性。なんだか、SNS時代のような……。これが50年も前の小説だということも驚きです。映画パンフレットに載っていた対談で石井監督はこう語っていました。

石井監督「永瀬さんの演じる”わたし”は一番、私たちに近い人物だと思います。彼には迷いがあって、先代の箱男の残したノートがなければ立ち行かない。それは情報やスマートフォンがなければ自分でなくなってしまうような感覚に陥る、現代の我々の自画像ともいえる」(『箱男』パンフレットより)

やはり原作の現代性も考えているんだな、と思いました。

暗闇からのぞき見る…まさに映画館

映画論を語る石井岳龍監督

石井監督:元々、原作が純文学で非常に実験的な小説で、読んだ人の数だけ解釈があるという風に作られているので、「読んだ人が箱男になる」ような、「自分が箱男の迷宮にアクセスする」ような仕掛けがしてあるので、はなからそれをまんま描くって、できないんですよ。安部公房さんの原作のエッセンスを、めちゃくちゃ優秀なスタッフたちの能力、映画力をもう限界までやった結果、今回僕らが与えられた条件の中で最善だという方法を取らせていただけたかな、と思いますね。

石井監督:これはやっぱり、体験していただきたいんですよ。「見る人が箱男になる」という体験として作っているので。特に、箱ですからね。これをかぶって窓からのぞき見る。まさに映画館の感じだと思って、映画館で体験していただきたい。「見た人が全部映画を完成させる」が私の持論なので、終わってからが、一番映画の面白いところだ、と言うか。私がそうなので。自分の心に残る映画は、見終わった後から始まる。そういう映画を目指したい。

心に残る映画は、見終わった後から始まる……「なるほど」と思いましたね。実はこのトークショーの時、私はまだ映画を見ていませんでした。台風10号の接近で、上映をしていなかったのです。