多くの命救った 3000回の講演
皆さんは、岡山市在住の竹内昌彦さんをご存知でしょうか?生後間もなく右目を失明、さらには小学生のときに左目を失明し、これまで70年以上にわたって目の全く見えない人生を歩んできました。
そんな竹内さんのライフワークとも言えるのが「講演」です。これまで30年間で3000回近くの講演を行い、悩める多くの人たちを救ってきました。

小学生時代の壮絶ないじめ、青年期の大きな挫折、幼き長男の死...多くの苦難を乗り越えた竹内さんから紡ぎ出される言葉は、今を生きる人たちの心に響きます。
そんな竹内昌彦さんを、RSKラジオ・RSKイブニングニュース・RSK地域スペシャル メッセージでは15年に渡って追い続けてきました。「死ななくてよかった」「その言葉で命を救われた」「生きる勇気をもらった」...竹内さんの言葉・人生をシリーズでお送りしていきます。
竹内さんが講演して回る「もう一つの理由」があった
日程が合う限りは、全国各地の招かれた先で講演を行う竹内昌彦さん。実はメッセージを伝えていく以外にも、果たしたいことがありました。
(竹内昌彦さん 講演より)
「卒業生が『先生、本に書け』言うから、こういう本を書いた。この表紙の絵を見てください、これは私の絵なんですよ」【画像①】

「私が、まだ目が見えるときにクレヨンで書いた絵です。小学校一年生の頃の絵を、母が『この子はもう書けなくなるから』と言って、捨てなかったから残った」
「『見えないから見えたもの』という題は妻が考えて、その文字はおととし94歳の父が書いてくれて、それが最期でした」
「あの死んでしもうた子供のことを書くときはね、本当に涙が止まらなかった。でも『書いて残してやらにゃいけん』と思うて書いた」

竹内さんと家族の思いが詰まった本です。講演が終わった後、希望者に販売しています。竹内さんは売り上げを、講演会の謝礼と合わせてあることに使っています。

(竹内昌彦さん 講演より)
「外国にマッサージを教える、盲学校作ろう。これは教員上がりですね。やっぱりね、学校作ろうと」
「でもちょっとこれは大それたことを言い過ぎたかなと思うてね、半分反省しとったんですけど、これが本当に運がよく、モンゴルに小さな学校ができた」