アメリカで大人気となっているスポーツ、ピックルボール。プロリーグやツアーも発足し、「ビバリーヒルズにはピックルボールコートだらけ」というほど、今“バズっている”スポーツだ。ピックルボールはテニス、バドミントン、卓球の要素を持つラケットスポーツ。手軽に老若男女楽しめることもあり、アメリカの競技人口は2022年時点で1000万人に達したとされている。そんなピックルボールに、ソフトテニスの元世界王者・船水雄太(30)が参戦。新たな挑戦のため、単身で乗り込んだピックルボールの本場アメリカは、どのような世界だったのか。半年の武者修行を終えた現在、その胸中を聴いた。

“ピックルボールドリーム”を求めて

出水麻衣TBSアナウンサー:アメリカでは、どんな日常を送ってらっしゃるのですか。

船水:本拠地を持たず、ほぼ全てのトーナメントに出場してるので、トーナメントを回ってから中3日で次のトーナメントがあります。毎週移動して、大会の地で練習して試合するという事を繰り返してるような感じです。大会に出るプロ選手たちに声をかけて練習マッチングしたりとか、ペアを組むパートナーと早めに入って練習したりっていうふうに。

出水:この半年間を一文字で表す、一言で表すとしたらどんな言葉が浮かびますか。

船水:いやもう、「苦労」というイメージしかないっすね。自信満々で行ったんですけど、現地のピックルボールの熱狂具合と、レベルの高さ、選手層の厚さっていうのをすごい痛感して、2か月1回も勝てないみたいな時期が続きました。言葉も堪能ではない、ゼロから全くわからない状態で渡米したので、コミュニケーションも苦労してましたし。何とか腕1本で認めてもらえば仲良くなるだろうと思ったところが、アマチュアの選手にさえ最初通用しなくて、誰にも相手にされず。日本人もほとんどいないので友達を作るのが難しくて、全てに苦労した日々だったなと思いました。

2024年1月に渡米。出発前には「世界一を目指す」と豪語し、最高峰の「米・メジャーリーグピックルボール(MLP)」にドラフトされることを当面の目標とした。

出水:最初の2か月間も苦労が絶えなかったということですけど、何か突破口というか、ご自身の中ではこうやってけばいいんだみたいな転機というのはありましたか?

船水:正直今でもその手応えみたいなのはないまま、何とかがむしゃらにやってるんすけど、とにかく気持ち、気持ちで逃げずに何事もくらいついたっていうのが、一つ突破できた要因。あっちはピックルボールドリームという言葉があるぐらい、みんな夢を求めて、若い人らが参入していて、みんな沢山練習している。自分も多ければ10時間以上、1週間続けて練習して倒れた週もあります。練習パートナーもいないのでとりあえず、公園に行って1人でやってそうな選手に声かけて、練習に混ぜてもらって、日本人でこういう選手なんだよってアピールしたりとか。最初1か月、2か月でうまくいかないことが多くて、諦めそうになるところを、なんとかやり続けた。

出水:船水選手の実力は、言語化するとどれぐらいの差がある?

船水:プロトーナメントのベスト32とか、30以下を切る成績で帰ってきたんですけど、ラストもう1個2個ぐらいの壁、分厚い壁があるかなっていうところではあります。だけど競技人口1,000万人を超えるこのめちゃめちゃすごい選手層の中で、短期間でここまで来た選手ってのは、どの世界を見てもいないので、可能性としては、手応えは若干ある状態で1回戻ってきたって感じです。

船水は高校・大学時代、ソフトテニスで数々のタイトルを獲得。世界選手権で金メダルも手にし、社会人となってからも第一戦で活躍、日本代表として国際大会でも優勝を飾っている。コロナ禍でソフトテニスの競技活動ができなくなった際、アメリカで大流行しているピックルボールに出会い、ソフトテニスの技術で再び世界の頂点を目指せると、二刀流の挑戦を決めた。

船水:ソフトテニスのバックグラウンドを活かした独特のボレースキルだったり、瞬発力の速さっていうのは、ピックルの世界トップレベルにも通じました。自分の長所を生かしながら、そのピックルボール独特な繊細なタッチを磨いていく必要があると思っています。
ある日、僕が目指してるメジャーリーグのチャンピオンの選手から呼ばれて、ちょっと練習してくれって言われて。それで、ボレーレッスンを開いて一緒にやったっていうことがあります。この独特なボレー技術と、尚且つツアーに出続けている日本人が他にいなかったので、いろんな人に注目してもらって、気にかけてもらってんのかなって。

出水:そのトップ選手から教えてくれと、声をかけられたときどう思いました?

船水:いやびっくりです。本当にトップ選手で、自分はそこの入口にすら立ってない状況だったので、当時ほぼ話しかけられること自体がありえないですし、インスタグラムフォローが来ること自体、どういうこと?っていう状況で、僕はもうドキドキ、めちゃめちゃ緊張しながら練習した記憶があります。