79年前のきょう、愛媛県松山市出身の俳優が44年の生涯を閉じました。広島で被爆し、終戦の翌日に力尽きたというこの俳優を偲び、松山市で慰霊祭が開かれました。
松山市総合コミュニティセンター。その庭にひっそり置かれている胸像の主が、俳優の丸山定夫です。
1901年に松山市で生まれた丸山は、東京の築地小劇場の立ち上げに参加し、舞台や映画で活躍。太平洋戦争中は移動演劇隊「桜隊」に参加し活動していました。
しかし1945年8月6日、8人の仲間と広島の宿舎で被爆します。爆心地に近かったため建物は倒壊。5人は即死し丸山も終戦の翌日に息を引き取りました。
松山では、毎年の命日に合わせて「白炎忌」と呼ばれる慰霊祭が開かれています。
松山市民劇場・久野はすみ事務局長
「会場の銅鑼を鳴らした丸山定夫、青年時代の丸山定夫、その若者がえがいていた夢を打ち砕いたのが戦争でした」
今年も地元の演劇関係者ら10数人が集まり、丸山の胸像に花を手向け、原爆に倒れた俳優に思いをはせました。
松山市民劇場・久野はすみ事務局長
「もし44歳で亡くなっていなければ、もっともっと功績をあげられた、すばらしい演劇を残せた人だと思っています。それを語り継ぐ、引き継ぐということが、自分たちのこれからの生き方や未来を考えていく上でも大切かなと思っています」
広島市の平和大通り。ここに丸山たちを悼む慰霊碑があります。慰霊碑の裏には、丸山ら9人の名前が刻まれています。今年の夏もたくさんの折り鶴が捧げられていました。
広島・長崎への原爆投下から来年には80年を迎えます。戦争を体験した人たちは年を追って少なくなっていますが、核兵器のない世界はいまだ実現していません。
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