サニブラウン・アブデル・ハキーム(25、東レ)がパリ五輪で歴史的な快挙を成し遂げようとしている。陸上競技男子100mは世界最速を決める種目。決勝進出者(近年は8~9人)はファイナリストと言われ、尊敬を集める。日本人の五輪ファイナリストは、1932年ロサンゼルス五輪6位(10秒8。当時は10分の1秒単位で計測した手動計時)の吉岡隆徳ただひとり。その後は誰も成し遂げていない。一昨年の世界陸上オレゴン大会7位、昨年の世界陸上ブダペスト大会6位のサニブラウンが、92年ぶり男子100mファイナリストの期待を担う。サニブラウンは決勝進出のみならず、メダル獲得をも視野に入れている。

過去には朝原と山縣が決勝に迫る走り

“暁の超特急”と言われた吉岡隆徳以降、日本人スプリンターのべ38人が人類最速を決める舞台に挑んだが、決勝への壁を超えることができなかった。
準決勝に進出した選手は6人いた。
飯島秀雄は後に代走専門としてプロ野球界入りした選手。スタートは国際的に見ても強かったが、64年東京大会準決勝2組7位、68年メキシコ大会準決勝1組8位。吉岡が持っていた10秒3の日本記録を10秒1に縮めた選手だが、世界の進歩に日本勢は追いついていなかった。

2人目は96年アトランタ大会の朝原宣治で、準決勝1組で5位。当時の100mは1次予選、2次予選、準決勝、決勝というラウンドの設定で、準決勝は2組4着取りで行われていた。朝原の記録は10秒16の五輪日本人最高タイム。決勝に進んだ準決勝1組4位の選手とは0.05秒差で、日本人選手の決勝進出も期待できると思わせた。

3人目は00年シドニー大会の伊東浩司だった。朝原が97年に出した10秒08の日本記録を、98年に10秒00と更新した選手。9秒台の扉をノックした。しかし00年はシーズンベストが10秒25で、シドニー大会準決勝も1組7位(10秒39)だった。
だが朝原と伊東が日本の短距離レベルを引き上げたことで、その後は準決勝進出は当たり前になった。08年北京大会では塚原直貴が準決勝2組7位(10秒16の五輪日本人最高タイ)。北京五輪の4×100mリレーは1走・塚原、4走・朝原で銀メダルを獲得した。

12年ロンドン大会の山縣亮太(32、セイコー)も、当時大学3年生ながら予選で10秒07の五輪日本人最高で走り準決勝に進出した。準決勝は3組5位(10秒10)。16年リオデジャネイロ大会でも山縣が準決勝2組5位(10秒05の五輪日本人最高タイ)、ケンブリッジ飛鳥(31、Nike)も準決勝3組7位(10秒17)と、準決勝に進む選手は増えた。

山縣のリオ大会は決勝進出まで0.04秒。タイム的には最も決勝に迫った。またリオデジャネイロ大会4×100mリレーでは山縣1走、ケンブリッジ4走で銀メダルを獲得した。