1945年8月6日に投下された原子爆弾。このフィルムはもともと日本映画社が科学的な「記録映画」製作を目指し撮影を続けたものです。占領の開始と同時に、調査の主導権はアメリカに移り、その後、英語版の映画にまとめられましたが、編集された映画のフィルムやネガは米国へ送られました。一方、日本映画社のスタッフは未編集フィルムを東京都内の現像所に秘かに保管しました。

長い時を経て、1993年、東京の倉庫でフィルムが見つかりました。映画に盛り込まれていないシーンも数多くあり、RCCは被爆50年をはさんで、この撮影に関わった人たちを訪ね、映像に映る場所や人の特定を進め、新たな情報や証言を伝え続けました。

しかし、長い時間の経過でフィルムの劣化が進み、一定の環境下で保存する必要があるため、国立映画アーカイブに納めることにしました。