“五輪休戦”の開始もその実効性は
掲げる理想とは裏腹に、世界の分断を色濃く映し出すオリンピック。しかし、かつての古代オリンピックは、戦争状態にある都市国家が「休戦協定」を結んで開かれたと伝えられます。
その精神を受け継いだ近代オリンピックもまた、大会中、紛争地域での停戦、いわゆる「オリンピック休戦」を訴えるようになりました。
IOCが「休戦」を初めて訴えたのは、1992年のバルセロナ大会。当時、旧ユーゴスラビアは内戦状態にあり、国連は制裁措置として、スポーツ選手の国際的な大会への出場などを禁じていました。
これに対し、IOCは大会期間中の「オリンピック休戦」を提唱し、旧ユーゴの選手の大会参加を実現させたのです。
このときの状況を、オリンピックの理念や歴史に詳しい來田教授は、こう話します。
中京大学 スポーツ科学部 來田享子 教授
「『世界の人々に平和を求めるようなアピールを、IOCから発してはどうだろうか』と。国際政治からオリンピックは独立したいというIOCの思いがあった」
翌1993年には、国連もIOCと歩調を合わせ、総会で「休戦決議」を採択。以後、オリンピック開催のたびに、大会期間中と前後7日間の休戦を国際社会に求める決議を行うようになります。
しかし、現実はこうした決議を無視する形で、大会期間中も戦火がやむことはありませんでした。
迎えた今回のパリ大会でも、国連では「休戦決議」が採択。7月26日の開会式でも、ピアノが炎に包まれる演出のなか、平和を希求する曲「イマジン」が演奏され、橋には平和の象徴・ハトのイルミネーションが…。

















