新紙幣の中でも一万円札の顔が変わるのは40年ぶりとなっています。
新しく一万円札の顔に選ばれた渋沢栄一氏、実は、宮崎とは意外な縁がありました。その縁をつないだのは、宮崎の偉人でした。
(垣内沙耶記者)
「ビタミンの父とも呼ばれている宮崎の偉人、高木兼寛氏と、新一万円札の渋沢栄一氏、実はこの2人、宮崎神宮の社殿の造営に大きくかかわっているんです」
宮崎市高岡町出身の医学者、高木兼寛は、明治31年、宮崎神宮をより威厳のある建物にするため寄付を募ろうと「神武天皇御降誕大祭会」を設立しました。
実は、この会の監事を務めていたのが、渋沢栄一なのです。
(宮崎神宮 本部雅裕宮司)
「高木先生は、渋沢さんのがんの手術をしているみたいですね。それで、渋沢さんは、一生、高木先生のことを『先生』と。年下だけど、『先生』と呼んで尊敬していたようです」
宮崎神宮は、明治天皇の侍医を務めていた高木兼寛により、皇室からの寄付が多く集まったほか、渋沢栄一が監事になったことで、全国の実業家からも多くの寄付が集まり、明治40年、今の御殿が完成しました。
(宮崎神宮 本部雅裕宮司)
「お二方がいなかったら、あるいは、この会ができていなかったら、宮崎神宮はこのような立派な御殿じゃなかったんだろうと」
こうした中、宮崎神宮では新紙幣の発行を記念してある展示が始まりました。
(宮崎神宮 本部雅裕宮司)
「向かって右側が、高木兼寛先生の書でございまして、左側が今度、新一万円札になります渋沢栄一先生の書でございます」
この掛け軸は、大正天皇の即位を祝って大正2年に宮崎神宮へ奉納されたものとみられ、それぞれ論語の一節が引用されています。
(宮崎神宮 本部雅裕宮司)
「渋沢先生はさすが経済学者ですから、使うお金を減らして、その代わりきっちり働いてお金を貯める、これが人生も、また、国家の経済もそれで成り立つんだと(かかれている)」
偶然通りかかった参拝者は・・・
(福岡県からの参拝者)
「あっ、きょうが切り替えの日。うわ、最高。ここまで来てから御利益があった」
(宮崎神宮 本部雅裕宮司)
「この際、一万円札の顔を見る前に、宮崎神宮で渋沢さんの書をご覧いただければ」
掛け軸は、宮崎神宮の御札所に今月15日まで展示されます。
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