フィニッシュ後に喜ばなかった村竹
フィニッシュ後の村竹は淡々とした表情だった。勝利の雄叫びも、喜びを爆発させるポーズもなかった。
「ここがゴールではなく、ここからがスタートなので、声を出したい気持ちもありましたが喜びは抑えました。やっとスタートラインに立ったと自分では思っているので、その意味も込めて声は抑えました」
うつむき加減に数歩歩いた後に、ひざまずいて空を見上げた。表情はいっさい崩さなかった。
「ホッとしたっていうのが正直なところでした。ちょっと空を仰いだところもありましたけど…そんなところです」
日本人初の12秒台を出せていたら、また違った行動になった可能性はある。だが今回は3年前のフライング失格以降、心のどこかに引っかかっていたものから解き放たれた心境だったのだろう。
「東京五輪を逃し、そこからの3年間、自分の無力さだったり、世界の壁だったり、負けたことの屈辱だったり、そういったものがパリ五輪への執念になって、ここまで動かしてくれたと思っています。ようやくその思い、自分の無力さから少し解放されて、やっとここから始まるな、と思いました」
3年前の日本選手権決勝での失格が、成長の大きな糧となったのは事実だ。フライングに対して神経質になることもなくなっているという。
「3年間の積み重ねが、自分の気持ちに余裕を持たせてくれています。そこにもう不安はありません」
引きずっていた部分がなくなったことで、村竹はまた別の成長ができるのではないか。
世界と戦うために中盤以降のスピード維持を
前述のように村竹はすでに、今大会決勝で12秒台を意識していた。出すことはできなかったが、「ハードルに最初からぶつけても13秒0台が出ました。アベレージは上がっている」と実感できた。
「1台目、2台目、3台目と加速につながる部分はハードルに当てず、スムーズに加速していきたいですし、後半は自分の(武器である)加速力を活かせるハードリングにできたら、と思います」
順大時代から村竹を指導する山崎一彦コーチは「12秒台がちらちらっと見えた」と話す。
「準決勝は8台目くらいから流して13秒14で行けていました。本人の中でも12秒台の手応えがあったと思います。1台目の入りも安定しながら良くなって、レースにムラがなくなっています」
世界と戦う上でのプラス材料は、「(ひと冬越えて)200mなど長いところの走力が上がっていること」だと山崎コーチ。「日本選手が今まで世界と戦って勝てなかったのは、中盤からのスピードのキープが大きな違いだったと思います。泉谷もそこを目指してやっています」
泉谷も村竹も順大出身で、2人とも山崎コーチが指導している。
「2人で決勝に残る、2人でメダルにチャレンジする。それを本気で考えられるように、あと2週間、3週間でやってみたい」
村竹も3年前に東京五輪を逃してから、パリ五輪を最大目標にして努力をしてきた。
「ここ(日本選手権)も通過点です。パリ五輪に出てやる、という気持ちでトレーニングをしてきましたから、計画通りです。パリ五輪では12秒台を出して、決勝進出とメダル獲得を目標にレースをします。ただ、ここからもう一段階レベルアップしないと決勝は見えてこない。残りの1カ月でしっかり仕上げて、最高のパフォーマンスができるように頑張ります」
110mハードルへの注目度が、日本選手権の結果で2倍になった。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)

















