サンバからボサノバが生まれた街
そしてもうひとつ、この都市が世界遺産になった理由が、文学、音楽、建築など多くの芸術においてアーティストにインスピレーションを与えてきたことです。

誰もが聴きなじみのあるボサノバの名曲「イパネマの娘」は、1960年代にリオデジャネイロで生まれました。作曲はアントニオ・カルロス・ジョビン、作詞はヴィニシウス・ヂ・モライス。二人ともリオデジャネイロの裕福な家庭の出身で、都会的で洗練された新しい音楽=ボサノバを生み出しました。

ボサノバとはポルトガル語で「新しい傾向」といった意味で、それまでの大衆音楽サンバから生まれたニューウェーブだったことが分かります。日本で言えば、フォークから松任谷由実に代表される都会的ニューミュージックが生まれたようなものでしょうか。
「イパネマの娘」は、アメリカでも大ヒット。フランスでもフレンチ・ボサというスタイルのボサノバが流行し、クロード・ルルーシュの大ヒット映画「男と女」の劇中歌でもモライスやジョビンの名前をあげてその偉大さを讃えています。ジョビンとモライスの二人が主導したボサノバという音楽ムーブメントは、日本も含め世界を席巻したのです。

歌の舞台になったリオデジャネイロのイパネマ海岸には、ギターを担いだジョビンの銅像が建っています。

またジョビンとモライスと若いミュージシャンが夜な夜な集まって曲を作った店も残っていて、その名も「イパネマの娘」というレストランになっています。

この店は番組でも撮影したのですが、手書きの「イパネマの娘」の楽譜を拡大して壁いっぱいに飾ってあり、ボサノバの「聖地」みたいな感じになっていました。