夫・輝夫さん:
「薬剤師で何でこのように死ななければならないのか悔しくて悔しくて」

輝夫さんは事件のあと脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になりました。

1996年に始まった麻原彰晃(あさはら・しょうこう)こと松本智津夫(まつもと・ちづお)元死刑囚の裁判。

夫・輝夫さん:
「病気もあるが、そのまま死にたくない。死刑の判決を耳に入れて死にたいです」

松本元死刑囚は不規則な発言を繰り返し、判決までに長い年月を要しました。

「死刑です」


死刑が確定した1年後の2007年、輝夫さんは72歳で亡くなりました。

それから11年、松本元死刑囚の刑が執行されました。

伊藤洋子さん:
「これで全部の死刑囚が執行されたと思うと、この間も一区切りかなと思ったけど… これからも2度とそういうことが繰り返されてはいけないと思う」

息子を失った悲しみの中、支え合って生きてきた夫も亡くなり、現在はひとりで暮らしている伊藤さん。

事件直後は毎日行っていたという墓参りですが、今は月に2回ほどになりました。

伊藤洋子さん:
「なんだか知らないけど歩くのもやっとだよ」

来たときには花と掃除を欠かしません。

伊藤洋子さん:
「お参り出来てありがたいです」

手を合わせるときは友視さんにこう語りかけます。


伊藤洋子さん:
「私を守ってくれないと墓守がいなくなるから、残された人をちゃんと生かしてと」

海が見える高台に建つひときわ高い墓石は、友視さんの身長と同じ178センチ。

刻まれているのは「毒ガス事故により死亡」という文字です。