■記録映画は幻に…そして「治安維持法」違反で逮捕 映画監督・亀井文夫さん

厳しい情報統制の下、公開されることがなかった幻の映画がある。
日中戦争を記録したドキュメンタリー「戦ふ兵隊」。
映画は日本軍のゲリラ掃討作戦で焼き払われた民家のシーンから始まる。
険しい表情でカメラを凝視する中国人。さらに捕虜となった農夫に日本兵が帰りたいかと問う。この映画はもともと、陸軍が戦意高揚のために作らせたものだが、軍の検閲官は「これは戦う兵隊ではなく疲れた兵士だ」といきり立ったという。
映画を作ったのは亀井文夫監督(享年78歳)。もともと軍の考えに批判的で、
生前はこんな発言もしている。

亀井氏(当時69歳)
「戦争に協力する考えはないわね。ただ自分が戦地に見聞きしたもの感じたものを素直に出せば、いいだろうと、そこらが姿勢だったけどね。両方ともね。対等に見て、それで両方にどっちかっていうと強い同情を持ったわけだよね」
その後、亀井監督は反戦的な意識を煽ったとして「治安維持法」違反で逮捕。映画監督の免許も、はく奪された。

亀井氏(当時69歳)
「こういう映画がね、当時上映できなかったんだと、軍によって禁止になったんだと、いうことを、みんなが考えてくれればね、その背景はそれじゃどんなにね、無謀なね、無慈悲な制限があったかっていうことがわかるじゃないかと」

亀井監督と交流が深かった映画史研究家の牧野守(まきの・まもる)氏(92)はこう話す。

牧野守氏
「あの当時の戦意高揚の作品は、勇ましく行進して、バンザイバンザイ言って。そういう作品が最も好まれた。それをニュース映画という劇場で上映されることで、一般の民衆も感激した。亀井さんのようなありのままの悲惨な状況の画面を見せつけられるのは、当時の民衆としては嫌だった」
軍の言論統制により、人々が戦争に駆り立てられていった時代。しかし、戦況が悪化するにつれ、その一端を メディアが担うようになっていった。

牧野守氏
「最初から、じぶんたちはこういうものを表現したら駄目だろうと。検閲に対する自己規制は、監督、作家、カメラマン、あるいは照明、録音技師に至るまで全部頭にあった」