商人の“いい加減さ”がお好み焼きに?

 次にお好み焼きの歴史です。お好み焼きは大阪商人の“いい加減さ”から生まれたという話です。昭和初期にお好み焼きという名前になる前は、違う名前で普及していました。明治~大正にかけては「洋食焼き」。この当時、海外から西洋から洋食が入ってきたけれど、庶民は洋食がどのようなものか知らない、高くて見に行けない、というときにウワサが入ってきます。どうやらメリケン粉とキャベツとソースを使っているらしいと。本来はおしゃれなクレープのようなものだったかもしれません。それをキャベツ・メリケン粉・ソースを使う…こんな感じやろと…。

 さらにこれが根付いた理由としては、米と違って小麦粉はアレンジが可能で、だしで薄めると利益が出しやすい…などと昔はズルもあったかもしれないと。さらに鉄板で人前で作って焼くというのは、上手く話して高く売るというパフォーマンスとして最適だったということも相まって、大阪で広がったんじゃないかということです。これは諸説あるうちの一つです。

粉モンはアピール不足!

 こうした歴史のある粉モンがピンチだということで、「日本コナモン協会」の熊谷真菜会長に話を聞きました。熊谷さんは怒っているといいます。それは「自分たちが生んだ食を守る意識が低いのではないか」ということです。大阪は新しいもん好きで、どんどん次に行ってしまい、昔のものをアピールするのが上手くない、ということです。そして「大阪府には食文化を守るための担当課もない」ということを熊谷さんは問題視しています。他の地域の自治体には食文化を広げる担当課がある場合もあるということです。