『あしたのジョー』では泪橋を逆に渡れ、と

梶原一騎原作の大ヒットマンガ『巨人の星』と『あしたのジョー』は、ともにこの山谷をイメージした町から物語が始まります。ジョーは「いつかはチャンピオンになって泪橋(なみだばし)を逆に渡るんだ」とここでトレーニングに励みました。
「泪橋」の地名は今でも交差点の名前として残っています。
その近くの土手通り沿いにはジョーの像も。

『あしたのジョー』で泪橋は小さな川にかかる木橋でしたが、現実は川自体が暗渠になってしまっています。

しかし、そうした日雇い労働者の町というにとどまらない庶民の普通の生活が、じつはここにはあったのです。
主役はたくさんの子供たちです。

山谷のフィルムを見ていると、とにかく子供たちの多さに驚かされます。

紙芝居、メンコ、女子学生たち

テレビの普及率がまだ低かった頃、子供たちはおじさんが自転車でやってくる紙芝居の周りに集まりました。

今日のヒーローは「黄金バット」か「月光仮面」か。子供たちが一心に紙芝居を見つめます。

路上は子供たちの遊び場でした。そのリアルな姿がフィルムに残っています。
また子育て中のおかあさんたちが商店街で買い物をしています。

東京下町の普通の風景がありました。

さらには制服を着た女子学生たちが、日雇い労働者たちの中を普通に通学しています。多くの外国人はこれらの画像を見て驚きます。「なんて治安の良い町なんだ」と。

地元の中学校に通う生徒たちにとって、ここは普通の「我が町」でした。

ときおり起きる「暴動」ばかりがピックアップされがちでしたが、山谷は「東京の普通の庶民の町」という側面を大いに持っていたのです。

山谷がインバウンドご用達に

しかし、バブル崩壊後の1990年代以降、建設業などの景気低迷により日雇い労働の需要が減少し、山谷もその影響を受けました。

多くの労働者が職を失い、山谷は次第に、別の意味の「安宿の町」に変化していきます。

古くからの簡易宿泊所はゲストハウスやバックパッカー向けの宿泊施設に改装され、国内外の旅行者が訪れるようになりました。

三畳の部屋も密集した町も「新鮮だ!」

また、地域の文化や歴史を生かしたイベントや取り組みも行われており、新たな魅力を発信する努力が続けられています。

山谷は、過去と現在、そして国内と国外が交錯する場所として、今なお多くの人々を集め続けているのです。