反射炉跡は、大砲を作るために鉄を溶かしていた施設で、当時は20メートルくらいの高さがあったといわれています。現在も1857年に建設された反射炉の基礎部分が残っています。

炉の内部に炎と熱を反射させて、鉄を溶かす施設です。当時はヨーロッパ諸国のほか、国内では佐賀藩が建設に成功していましたが、薩摩藩での実験は難航。

落ち込む藩士らに対し、島津斉彬は「西欧人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人もまた人なり」=西洋や佐賀の人にできて、同じ人の薩摩人にできないはずがない と言って励ましたと言います。

漫画「だんドーン」の中では、斉彬がこの地で近代的な工場群をつくるという場面で登場。漫画を読んでる人はテンションが上がるポイントです。