“治療可能な精神疾患”とされていた同性愛 「ものすごく生きづらかった」他人と話ができず家族とも疎遠に
同性愛者への差別や偏見が広がったきっかけは、100年以上前にさかのぼります。1915年に発表され同性愛を医学的に論じた『変態性欲論』には、同性愛は“治療可能な精神疾患”とされ、一種の伝染病であり、まん延すれば社会を破壊すると考えられていました。
同性愛が病気だと認識された頃、長谷さんは香川県で生まれました。初恋は、小学校の男性教諭でした。
(長谷忠さん)「(Q告白はした?)しない、告白なんて一切していない。そういうことをできない、その頃は。男が女を好きになると簡単に告白できるけど」
長谷さんは戦後、大阪に移り住み、電報配達やビルの清掃員など11もの仕事を転々としました。身の上話になり「なぜ結婚しないのか」と聞かれるのが嫌で、仕事仲間と親密になるのを避けてきたそうです。同性愛者である自分が近くにいると迷惑になると思い、母やきょうだいとは次第に疎遠になりました。
(長谷忠さん)「ものすごく生きづらかった。人と話をすることができない。もし他人から『同性愛者気味の人間やな』と言われたら、『違います』って言う時代や。他人の言葉を遮って、偽の言葉で隠すわけよ」
日本では1990年代まで国が同性愛を病気とみなし、辞書にも『異常性欲』と記されていました。長谷さんは人生の大半を偏見や差別に耐えながら生きてきたのです。