大正時代にデパートの第一歩 女性店員の初採用が「ベルク」の誕生へ

そして大正時代、山形屋は百貨店=デパートとしての一歩を踏み出します。当時、神戸から西に百貨店はありませんでした。

(社史担当の上荒磯道治さん)「大正時代の建物は鉄筋コンクリート造りで、百貨店としては全国で3番目に造られた。」

1916年=大正5年には地下1階、地上4階の新しい店舗が完成。化粧品や帽子、雑貨なども扱いました。

1階には女性店員が初めて採用され評判に。かいがいしく働く姿は、鹿児島大学の前身、七高の学生たちのあこがれの的になりました。

「おい、ベルクへ行こう」七高生たちは山形屋のことをドイツ語で「山」を意味する「ベルク(Berg)」と呼び、連れ立って女性店員を眺め、3階の食堂に行くのが定番だったといいます。

この愛称は、今もイベントスペースの「天文館ベルク広場」やレストランなどを経営するグループ会社「ベルグ」として残っています。

七高生と女性店員

「関西以西随一」と称えられ、欧米から輸入したエレベーターも備えていました。

(上荒磯道治さん)「時代の最先端の技術を導入し、エレベーターを研究して安全であることを確認してアメリカから輸入した。顧客本位という考え方は山形屋に根づいている。」