総工費は今の15億円「船のほうが儲かる」と勧められた経営者は言った

総工費は39万円、今の15億円にも上る額でした。当時は第一次世界大戦中で世界的な船舶不足。

時の経営者・岩元信兵衛は、友人から「船を作って海運業をしたほうがもうかる」と言われ、次のように答えたといいます。

「船にカネをかけたほうがもうかることは知っている。しかし、私は堅実地道に、郷里の、社会のためになるデパート建設に投資する。」

「地域で暮らす人たちのために」山形屋がずっと大事にしてきた精神です。

故・岩元恭一社主(当時)「時代時代でいろいろな出来事があったし、文化も変わってきている。そこに住んでいる方々のためになっているかと常に自分自身を見つめてきたから今日がある。今後もどんな文化になって行こうが、これは大切なこと。」

山形屋が直面した戦争、そして山形屋にとっての鹿児島とは… 昭和以降の歴史は後編に掲載しています。