「倉敷」の名はダムに沈んだ集落が由来

ダム内には、子どもたちが水遊びを楽しめるエリアや貯水池の全景を見ることができる高さ41mの展望タワー、そして水の性質を知ることが出来る資料館などもあり、水と戯れ、学ぶことができる施設が揃っている。県民にとっても、憩いの場。この場所に、意外な歴史があった。

Q.倉敷ダムという名前になったきっかけは?

知念光さん
「ここに昔、「倉敷」という集落があったんですが、そこに米軍が「瑞慶山ダム」というダムを造ったんです。元々あった集落の方々などから倉敷という名前を残してほしいという要望がありまして、名前を「倉敷ダム」としております」

今年3月。貯水量が低下し、水位の下がったダムの水面から現れたのは、「ウヮーフール」の遺構。(「豚小屋のトイレ」を意味するしまくとぅば)


それは、かつてこの場所に人々が確かに暮らしていた営みの跡だった。

130年前、首里を追われた旧士族らが、苦労の末に開墾したという倉敷集落。沖縄戦で空襲を受け、戦後はアメリカ軍が駐留。倉敷集落の人々は、ふるさとに帰ることができなかった。

そして1961年、米軍により、倉敷ダムの前身「瑞慶山ダム」が造られたことで、集落はダム湖の底へと沈んだ。