“世界一”をもたらした「手工業」を今に伝える 当時そのままの坑道
17世紀のころ、既に世界では機械を使った金の生産が始まっていましたが、佐渡は手掘りでの採掘を続けています。
にもかかわらず、それでも当時の佐渡は、金の産出量が世界一でした。

手工業だからこそ高められた独自の生産体制によって、むしろ“世界一”を可能にしたといえるのです。
宗太夫坑は当時の坑道をそのまま使い、江戸時代の採掘の様子を再現しています。
当時の人たちが工夫を凝らしながら採掘していたのがよくわかり、佐渡島の金山の価値を改めて感じることができます。
採掘時には“水”の管理が欠かせませんが、当時の佐渡島の金山には画期的な“ポンプ”がありました。

【ゴールデン佐渡 広報担当 名畑翔さん】
「水上輪と呼ばれるポンプがありまして…。らせん状に組まれた“羽根”を回転させることで水を、上に上にと送っていくんですね。それをリレー方式で地上まで出して排水をしていた」
中世の頃からさまざまな工夫を凝らしながら、実に1989(平成元)年まで操業が続けらていれた『佐渡島の金山』。
【ゴールデン佐渡 広報担当 名畑翔さん】
「やっぱり皆さまにたくさんお越しいただいて、佐渡の価値を知っていただいて、一緒に世界に発信いただけたら嬉しいなと思います」