かつてはハンセン病にかかると、長く続いた国の誤った政策で、強制的に療養所に隔離されました。東京・東村山市のハンセン病療養所「多磨全生園」に暮らした患者や治った回復者たちが「絵を描いた活動」の歴史をたどる企画展が、隣の国立ハンセン病資料館で開かれています。「絵ごころでつながるー多磨全生園絵画の100年」。この企画展の関連イベントとして、3月30日(土)、多磨全生園の中で、「あおぞら絵画教室」が開かれました。
絵画を通じてハンセン病の記憶を継承する試み
担当学芸員の吉國元さんは参加者を前に「現在、当事者の皆様が高齢化しているということで、園内の描き手たちはやがていらっしゃらなくなります。それを踏まえて、多磨全生園の描き手たちは、どういった思いを込めて、絵を描いたのだろうと。そういったことを想像しながら、絵を描ければいいなと思っています。『記憶の継承』、そういったことを、このイベントを通じて皆様と一緒に考えていきたいです」と趣旨を説明しました。

多磨全生園の中には、入所者が地域の人たちとの交流を願って、戦後、植樹した約3万本の樹木が豊かな森を作っています。「あおぞら絵画教室」では、園内の一角、黄色い菜の花畑と紅色の陽光桜が咲く緑地で、水彩絵の具を使って描きました。12組の参加者のうち、4組が親子連れ。資料館が用意した絵の道具や紙をまず配った時、1人の母親は「ここの植物の表情はたくましくもあり、皆さんが思いを込めて植樹されてた木なんだなっていうのも相まって、いい場所だなと思います」と話しながら、子供と使う絵の具の色を選んでいました。

菜の花や陽光桜のそばには、戦前、療養所を囲む堀を入所者が掘った時、余った土を盛り上げ、小山にして、その上に登って、みな故郷をしのんだという「望郷の丘」があります。園内の小中学校があった場所も近くです。近くに住んでいて、園内をよく散歩するという参加者もいれば、入るのが全く初めてという参加者もいました。絵を描くのにちょっと飽きた小さい子は緑地を走り回り、その横で、1人であちこち歩き回って考えながら、描いている参加者もいました。

お昼休みをめどに、描き終わり次第自由解散で、絵を提出する親子、お昼ご飯を食べに行く人、描き続ける人それぞれでした。その時点で聞くと、「なんかいろんな植物が混ざっていて、地域の方とか子供連れの方も多いですし、すごい溶け込んでみんな調和があるような感じを受けています」「すごく独特の空気感があって、すごい素敵なところだと思います。ここにいると、いっぱい絵の題材になるような場所を見つけることができそうです」「普段訪れる時は、家族とか友達とかと普通に遊ぶときもあれば、お花見するぐらいなんです。きょうは、絵を描くために集中するのでいつも見てたのとちょっと違う感性が生まれる感じです」と様々な感想が返ってきました。
