境港に鉄道が開通するなど、物流中継地としての美保関の地位が低下して行く中、観光での活性化を目指したようです。
しかし、太平洋戦争開戦翌年の1942年頃に閉館したとのこと。現在は石碑が残るのみです。

2代目は、美保神社の入口脇に看板が写っている写真だけで、それ以外の記録は見付かっていません。

高度経済成長期の1955年にオープンした3代目は、竜宮城をイメージした建物でした。

そして、今回新たに確認された4代目は…