ユーハイムがこの地でバウムクーヘンを焼いた頃、広島は「軍都」と呼ばれ、似島は「軍の島」でした。

似島歴史ボランティアガイドの会 宮﨑佳都夫 会長
「1本の桟橋は、外地から帰ってきた兵隊が上陸する、いわゆる未消毒桟橋。こっちの桟橋は既消毒桟橋」

似島には陸軍の「検疫所」が置かれ、戦地から戻った兵士の消毒を行っていました。検疫所の一角にはドイツ人捕虜の収容所も…。そこに収容されていたのがカール・ユーハイムです。

ユーハイムは、収容所で焼いたバウムクーヘンを「広島県物産陳列館」で販売しました。現在の「原爆ドーム」です。

原爆が投下されると「軍の島」は臨時の野戦病院になりました。やけどを負った約1万人の被爆者が運び込まれ、多くが島で埋葬されました。

兵士が歩いた当時のままの桟橋の土台。「軍の島」の痕跡を訪ねながら、石鍋さんは、似島とバウムクーヘンの不思議なつながりを実感しました。

俳優 石鍋多加史 さん
「ずいぶん似島が戦争と関わりが深くて、そして原爆もあった。きょう、本当によくわかりました」