“原発反対”に無言電話や嫌がらせの手紙も
この日、部屋の中から見つかったのは、原発建設に反対していた頃の写真だ。

金平キャスター「若いね。原発いらないって。これいくつぐらいのとき?」
塚本さん「35、6だと思うな」
市役所に詰めかける住民たち。それでも反対する住民は、当初、町の中では少数派だった。塚本さんの家には無言電話が続き、嫌がらせの手紙が山ほど届いたという。
妻・詠子さんは、当時を振り返って・・・

金平キャスター「4人のお子さん。学校でいじめられたり?」
詠子さん「『未来の町』を小学校4年のとき2番目の女の子が絵を描かされた。うちの子どもに先生が『塚本さんは描かなくて良いからね』って」
金平キャスター「明るい未来とか原子力とか、そういうテーマの絵を先生が描かせたんだ」
当時の仲間だった小谷内毅さん。裏で運動を支えてくれた人も沢山いたと涙ぐむ。

小谷内さん
「誰1人欠けてもあの原発は止まらなかった。表に出た人は目立った人はいたけど、いろんな人がいたからこそと止まった」
嫌がらせを受けながらも、なぜ、塚本さんは声を上げ続けることができたのか。

塚本さん
「僕は坊主だからやるのは当然と言えば当然ですよ。『強い者の味方したら坊主じゃない』っていうのと『左行こうか右行こうか迷ったら、困難な方を選べ』と。『それは絶対悔いのないことだ』と教えたのは親父なんですよ。勝ち負けは別として、とにかく最後までやるっていうのを貫き通そうと思った」