東日本大震災の翌年発足した福島県相馬市の「相馬子どもオーケストラ&コーラス」。原発事故や震災の影響を受けた子どもたちが音楽を通じて「生きる力」を手にできるように、相馬の子どもたちの「居場所」となるように──。子どもたちが、オーケストラを通して得たものを取材しました。

震災当時3歳だった高校生「本当にこれが相馬なのかなって」

福島県相馬市にある「相馬子どもオーケストラ&コーラス」には、市内の6歳~18歳の子ども85人が所属しています。

小学3年生(バイオリン)
「いろんな曲を弾くところが楽しいです」

小学6年生(フルート)
「1つの音楽になった時が気持ちいいというか、楽しい」

高校2年生島聡美さん(17)
「大きい音で迫力があって、面白いというか楽しいなって」

相馬市で生まれ育った島さんが、お気に入りの場所を案内してくれました。

島さん
「ここは『相馬野馬追』などをやる場所で、桜の時期は部活の先輩と花見に来た思い出があります」

伝統行事「相馬野馬追」の出陣式が行われる場所。そこから少し上った小高い丘から見渡す、相馬の町並み。

島さん
「あそこが私が通っている高校で、部活をしていると、太鼓の音や楽器の音が聞こえて、幸せな気持ちになれます」

しかし、13年前の東日本大震災。穏やかな日常が一変しました。島さんは3歳で、当時のことはよく覚えていません。

島さん
「中高生になって、広い目で相馬を見られるようになってからは、海側は深刻な被害を受けていたんだなって知りました」「津波の来る映像を初めて見た時は、本当にこれが相馬なのかなって思うことがありました」

2011年3月11日、街は高さ9.3m以上の津波にのまれ、相馬市では458人が亡くなりました。

そして、福島第一原発の事故。政府は、半径20km以内に住む人に避難指示を出し、20kmから30km以内には屋内退避を指示しました。

放射線量が高くなったことから、福島県内の一部の学校では屋外活動を制限した時期もありました。

原発から30km以上離れた相馬市には、避難に関する指示は出ていませんでしたが…

島さん
「直接的には言われていないけど、外で遊ぶことは少なかったのかなって思います」

島さんの母親
「原発の事故も気にしながら、小さい子どもを持った親は公園で遊ばせられない。土とか葉っぱとか触らせられないって、すごくぴりぴりしながら子育てしていた」