関東大震災でぼろきれにくるまれ、10代で両親と死別

吉村光子さんは1923(大正12)年、東京生まれ。7人兄弟の長女(第4子)です。
生後1か月あまりの時「関東大震災」に遭い、両親は吉村さんをぼろきれにくるんで命からがら逃げ延びたと聞いています。

父親は三菱の設計技師で、14才のとき上海に転勤。女学校に通っていた吉村さんは1人東京に残って学校を卒業し、16才で上海の家族の元に渡りました。しかし渡航して半年後の11月23日に母親がパラチフスで死去。翌年の3月28日には父親も病気で他界、吉村さんは8つ下の妹と2人きりになってしまいます。

「兄たちは出生して、あいなかの妹は亡くなって、一番下の妹と2人でしたもんね。母は病院に隔離されてたから、死んでからしか会われませんでしたけど、病院に行ったら白い薬をかけられて 頭からかぶされて…妹は寄り付きもしませんでした。まだ7つかそんくらいやった」
「お父さんはしっかりしとったですね。『今夜の2時過ぎくらいが危なかけんが、ちょっときついだろうけど起きててね』って。
母が亡くなってから私が妹の面倒をみよったもんですからね。『大変だろうけど、妹の事頼むね』って言ってから 枕の下から手帳を出して『こことここに電報を打ちなさい』預金通帳だの保険証書だのも出して私に渡してね。本当に午前2時16分に亡くなったとやんもんね。
妹は2階に寝てたけど起こさなかったですね。あくる日、夜が明けてから教えたですけどね」