「娘が生きたかった時間を生きて、娘のもとに帰った時に褒めてもらいたい」

紫桃隆洋さん(59)は、小学校5年生だった娘の千聖さんを亡くしています。
紫桃さんが「大川竹あかり」を始めたのは、地域で震災を伝えていく大切さを感じたからだといいます。
大川伝承の会 紫桃隆洋さん(59)
「13年っていう月日がたつと、津波を経験していない子どもたちが成長していく。その子どもたちに何をどう伝えていくのか、津波のことだけじゃなくて、『命』というものとして、きちんと何か受け継いでつないでいく、その中で何か作業しながら語っていく」
紫桃さんは語り部として、大川小の悲劇と防災の大切さを伝え続けています。
語り部活動をする 紫桃隆洋さん
「津波が大川小学校に到達する1分前に、やっと移動を開始したといわれています」
娘の千聖さんも、この大川小で津波の犠牲となりました。
トラウデン直美さん
「私も紫桃さんのお嬢さんと同い年で、小学校5年生だった。ここにいたのは私だったかもしれない」

紫桃隆洋さん
「13年経って、何か娘の成長を見ている感じがしますけど、私の胸の中には5年生のままなんですよ。最後に声をかけたり、抱きしめることができなかった。その無念さがずっと残っている。
何か伝える、話す、語る。娘が生きたかった時間を生きて、自分が命を落とした時に、娘のもとに帰った時に褒めてもらいたい。そういった思いで語りをしている」
子どもたちが避難すべきだったとされる学校の裏山。ここから今見えるのは、様変わりした街の様子です。

トラウデン直美さん
「街があったとは思えない、というか」

小5の次女・千聖さんを亡くした 紫桃隆洋さん
「(震災前の写真と)同じ場所から見ている風景ですけども、街が今はすっかり無くなってしまったと」
かつて学校を中心に街があったこの場所は、現在「災害危険区域」に指定され、住宅を建てることはできません。
紫桃隆洋さん
「たくさん堤防もできたし、街もできたし、ただ、昔の賑わいには戻んないですよ」
千聖さんの分も生きて、震災を語るだけではなく、震災の記憶が残るこの場所に、人が集まり、『命』を考えることが伝え続けていくことになるといいます。

紫桃隆洋さん
「新しい賑わいでもいいと思うんですよ。何かみんなが集まって、声がして、多分亡くなった子どもたちだけじゃなくて、地域の人たちも、そういった賑わいを楽しみにしているんじゃないかなと」














