■プライバシー守る“中絶ピル” 「違法州」では壁が…

ワシントン大学医学部 エミリー・ゴッドフリー准教授

ゴッドフリー医師は中絶ピルの持つ、また別の意義も強調する。『ピルには周囲に知られることなく中絶できるという利点もある。中絶に対する汚名が着せられ、中絶を決断することが難しい地域に住む人のプライバシーを守るという意味でも、大きな役割を持っている』

中絶を巡る環境が厳しくなる中、「違法州」の女性にとって、「合法州」からピルを取り寄せて中絶するのは、選択肢になるのか?取材を続けると、それも難しいことが分かった。「合法州」カリフォルニアでは、必ずしもすべての医療機関で郵送に対応しているわけではなく、郵送を行っている医療機関でも、州内への郵送に限っていた。「違法州」の人には、カリフォルニア州内のホテルなどに来てもらい、オンライン診察ののち、その場所にピルを郵送。効果を確認するまで2週間の滞在を求めるということだった。

では、なぜ「違法州」に郵送できないのか?ここでも壁になっているのは「違法州」の法律だ。中絶そのものを禁じているため、「合法州」から中絶ピルを取り寄せようとも、中絶する場所が「違法州」なら、郵送した側も処罰の対象となる可能性があるのだ。ゴッドフリー医師は『私たち医師には患者を治療する道徳的、倫理的な義務がある』と話したうえで、国の保健当局が安全性や有効性を認めていたとしても、住む州が違うだけで薬を入手できない人がいることについて『これはアメリカの不幸な現実です』と指摘した。

■密告の報奨金は約135万円…さらなる取り締まり強化も

バイデン大統領はピルへのアクセス保護を訴え

中絶ピルを誰もが等しく入手できるよう、連邦政府も動き出している。『薬による中絶はもう何年も前から承認されており、患者にとって安全なものだ。この薬へのアクセス向上に取り組むことが国としての課題であり、公益にかなう』ベセラ保健福祉長官は先月、こう語った。バイデン大統領も中絶ピルへのアクセス保護を求めている。さらに、中絶ピルが入手できないからと言って、個人輸入などで入手、服用することによる健康被害の懸念も指摘されている。

一方、「違法州」では中絶ピルの使用がさらに難しくなるかもしれない。「違法州」テキサス州では中絶ピルの使用を認めておらず、中絶に協力した医療関係者らを第三者が事実上「密告」した人が、1万ドル=約135万円の報奨金を受け取れる制度もある。別の州では、いわば「抜け道」となる中絶ピルの郵送を禁止する動きがあるほか、中絶反対の活動家からは、中絶ピルの郵送を対象にした取り締まり強化を求める声が上がっているという。

前出のテキサス州の医療従事者は、州の中絶ピルに関する規制を取り除けるよう、連邦政府が早急に動いて欲しいと願うが、医療現場にできることは限られている。『テキサスでは中絶が禁止になってから何も変わらずここまで来てしまった。このままではこの状況が“普通”になってしまうかもしれない』と、不安を口にしながらこう語った。『現状に絶望しつつ、自分にできることで患者を助けたい』

中絶問題はアメリカ社会の新たな“分断”ともいわれる。だが、そんな言葉では片付けられない医療現場の葛藤が、取材を通して胸に刺さった。

ロサンゼルス支局長 尾関淳哉