いわゆる自民党の裏金問題について説明責任を果たす場として政治倫理審査会(以下、政倫審)が揺れている。28日開催としていたものが直前に延期になった。公開にするのか、カメラを入れるのかですったもんだしているようだ。と言っても元々政倫審は原則非公開、議事録も閲覧もできない。さらにここで何を語ろうが厳しい罰則の規定もなければ、強制力もない。政倫審は何故これほど審査される側に甘いのか…。規程には「対象議員の意向に配慮する」なんて言葉も入っている。なぜなのか…その政倫審誕生の経緯を紐解いた。

「小沢座長が説明に行ったんですよ。そうしたら凄く怒られて帰ってくるわけ」

政倫審は、ロッキード事件(1976)を機に政治不信が高まったことを受けて生まれた。約30年前のことだ。この時何故、もっと厳しいルール作りをしなかったのか。番組ではこの政倫審の立ち上げに関わった人物を取材した。

元参議院議員、平野貞夫氏(88)。1985年政倫審発足当時、衆議院職員としてその設立にかかわった。当時、何があったのか…。あまり世に出ていない意外な舞台裏を語ってくれた。
インタビューした自宅の部屋には田中角栄元総理の全盛期の写真が飾られていた…。

元参議院議員 平野貞夫氏
「この人は田中角栄さん。田中総理の時代、私、衆院議長の秘書でしたから。しょっちゅう怒られてましたよ。(中略~政倫審立ち上げ当時は)私、議院運営委員会担当の課長やってましてね、総務課長というんですが…、政治倫理制度をどうやって作るかという事務の現場責任者でした。(田中元総理が逮捕されて以降)『ここは倫理の確立が必要だ』ということになって政治倫理制度を作ろうと…」

平野氏によれば、政倫審の立法過程で厳しい罰則を設けようとする動きがあったという。
例えば自民党内の懲罰では一番重いのは除名だが、国会でも著しく倫理に反した議員は懲罰対象にしようという意見も出たという。
そこで、当時議院運営委員長だった小沢一郎氏が、立ち上げの座長として素案を持って行ったのはロッキード事件で起訴されたとはいえ、まだ大きな権力を持っていた田中元総理の元だったという。すると…。

元参議院議員 平野貞夫氏
「『今後のその倫理違反についてはこういう制度を作る』ていうことで小沢座長が説明に行ったんですよ。そうしたら凄く怒られて帰ってくるわけですよ…」

結局“厳しい案”は持ち帰られた。しかし、この時の野党の錦の御旗は“田中元総理のような金権政治は許さない“田中元総理の政治的影響力を下げる”というもので、断固厳しい規則を求める姿勢をくずさなかったという。