自らバイクを運転して鮮魚店へ向かう

漁の終わりは午前7時ごろ。
捕った魚を積むと…なんと、自らバイクを運転して鮮魚店へ向かいます!
中島さんはこの習慣を、ほぼ1年中欠かさないのだそうです。


92歳とは思えないパワフルさ。
鮮魚店の店主も頭が上がらないと話します。

三代鮮魚店 三代祐司さん
「もうおんぶにだっこしてもらってますわ。この前もあの大きなウナギが捕れたですけどね、全国の人があれを見て、自分たちも頑張らんといけんと、私も含めて、思われたと思いますよ」

そんな中島さん、漁師になったのは終戦直後の1945年、15歳の時。
それまでは軍需工場で働いていたと言います。

中島栄さん(92)
「終戦になってからは軍需工場も用がないけん。家は代々漁師ですけん、親父の手伝いでまだ15歳ぐらいですけんね、ずっと漁の手伝いですわね」

当時、本庄町の港では、あふれんばかりの魚や貝類など捕れ、売れ行きも良かったと言いますが…


中島栄さん(92)
「中海の干拓工事が始まって、それからはダメでしたね。肝心な赤貝なんかは捕れなくなってしまって」