高校生の頃から孝司さんは、どこに行くにもカメラを持ち歩き、家族との写真を撮ってはアルバムにまとめていました。

「これは彌彦神社。毎年のように家族で…。このとき横浜の弟(次男)も正月で帰ってきていたので、家族5人で弥彦神社に参拝して撮った写真」
「家族で撮っているのは、これが唯一だな…」

孝司さんが失踪した1974年を思い起こすと、「幸先の良い年になりそうだった」と昭一さんは振り返ります。
「弟が母親に、どこか適当な結婚相手がいたら推薦してください、と言っていたんです。そう考えると、自分で自殺とか、そういうことは全く考えられない」

孝司さんは当時、新潟県職員として佐渡の新穂村に赴任していました。

ところが1974年2月24日、自宅近くの焼き肉店で夕食を済ませ、知り合いの店に立ち寄った後から行方が分からなくなりました。孝司さんが27歳のときです。