事件とバスターミナルの閉鎖

事件前日のH.Yさん(中央)と「夜回り」をする労福会のメンバー(札幌市・去年10月14日)

 H.Yさん(72歳)がその事件にあったのは、去年10月15日午後11時過ぎのことでした。

 路上のいつもの所でバッグを枕にして寝ていたら、突然、複数の男が周りを囲んで、枕にしていたバッグとほかの荷物一切を、あっという間に奪って逃げ去りました。

 「寝とったんやけど、あっ!と思ったら、もう取られてて…」

 「あーっ、と声が出たけど、怖くて怖くて。追っかけなかったんや」

 バッグには現金と貯金通帳などが入っていました。その事件に合う前、H.Yさんは、毎週土曜日夜に「夜回り」で声をかけてくれる労福会の支援で、年金を受け取る手続きをして、受給が始まったばかりでした。そのため、かつて大手のスーパーマーケットや実家のスーパーマーケットで働いた通算約20年分の年金の一部が口座に振り込まれ、手元にも現金がありました。それを奪われてしまったのです。

 年金を受け取る手続きをしたのは、あるきっかけがあってのことでした。

閉鎖される直前の札幌駅バスターミナル(札幌市・9月9日)

 JR札幌駅に隣接するデパートが、北海道新幹線の延伸に伴う工事で、去年8月末に閉店しました。その1階にあった「札幌駅バスターミナル」も1か月後の9月30日で閉鎖され、バスの発着は当面、札幌駅の近くに分散されることになりました。

 このことは、札幌の路上生活者にとって大きな出来事でした。と言うのは、H.Yさんを始め十数名の路上生活者が、深夜、このバスターミナルを根城にしていたからです。

路上生活者が寝泊まりしていた札幌駅バスターミナルの階段(札幌市・9月9日)

 当時のバスターミナルは、デパートの1階にあって外部との出入りが比較的容易だったため、路上表生活者にとっては、最終便が出た後、始発便が走り出すまでの間、雨風をしのぐことができる貴重な場所でした。

 しかしそこでも、路上で凍った氷のかけらやゴミを、何者かに投げつけられるいやがらせを受けることもありました。

 そのバスターミナルがなくなって、追い出された形となったH.Yさんらが、それぞれに新しい根城を探していた半月後の10月15日に、その事件が起きたのでした。

 H.Yさんはその後、被害届を警察に出して、口座の取り引きも停止しましたが、関心はお金を取り戻すことではありませんでした。

(イメージ)

 「怖かった、怖かったんよ。ほんま怖かった」

 荷物を盗まれた時、暴行を受けることはなく、けがもありませんでしたが、その恐怖は居ても立っても居られないほどのものでした。しばらくは震えが止まらず、眠りに就くことができない夜が続きました。

 事件後、普段はあまり意識しなかった年齢のことも、頭をよぎりました。

 そしてH.Yさんは、路上生活を止めることを決めました。

 10月中に、労福会から引き継いだ別の支援団体のサポートを得て、生活保護の受給手続きをし、アパートを借り、鍵がかかる部屋で眠ることができるようになりました。

 20年以上続けた路上生活に、終止符を打った瞬間でした。