やり投王国チェコに行くまで

東京五輪の決勝
その理由について言及する前に、北口が成長してきた過程で、常に世界を意識してきたことを紹介したい。

北口は優勝した世界ユース翌年(16年)に日大に進んだ。5月に61m38の自己新を投げたところまでは順調で、リオ五輪標準記録の62m00も手が届きそうだった。だがその頃からヒジに痛みが出て五輪出場を逃すことに。北口にとってかなり悔しいことだった。

大学2年時は61m07、3年時には60m48がシーズンベスト。自己記録から1m以内は投げていたが、国内大会でも勝負どころで敗れ、世界陸上やアジア大会の代表を逃した。大学2年時の17年シーズンからコーチ不在となった影響も否定できない。「コーチがいないから・・・」とぼやいたことが何度もあった。

17年はサニブラウン・アブデル・ハキーム(23・タンブルウィードTC)が、世界陸上ロンドン大会200mで7位に入賞した。学年は1つ下だが、同じ世界ユースで優勝した選手である。海外のチームで練習するサニブラウンに対し「ハキーム君は海外に行けていいなあ」とこぼしたこともあった。

「色々あって、どうしたらいいのかわからなくなっていました。一番ひどかったのは18年の日本選手権(12位・49m58)前でした。ご飯を食べられなくなって、体重が5kg減りました」

しかし北口が、ずっと海外指向をもって競技に取り組んでいたことが事態を好転させた。

やり投を始めて2年目の高校2年時に陸連派遣でフィンランドに行き、その頃から日本の強化方法と世界の強化方法を、あまり区別して考えていなかったという。そして高校時代から、男女の世界記録保持者がいるチェコの技術に興味を持っていた。大学3年時のシーズン後にやり投の技術について話し合う世界的な会議に参加し、チェコのジュニア担当ナショナルコーチと知り合いになった。帰国後に正式に依頼し、チェコ人のコーチから指導を受ける環境を自身が中心になって構築した。

チェコでの練習や技術指導が全てだったわけではないが、それを機に自身もトレーニングや技術について深く考え、19年の日本記録につなげていった。

助走スピードを上げられたプロセス

東京五輪の決勝
今季、安定した投てきができている理由として北口は「パワーも付いて、練習もできているので、不安なく試合に臨めている。助走も楽にできている」ことを挙げた。

東京五輪で痛めた左脇腹は3カ月間、本格的なトレーニングができない重傷だったが、その間に苦手だったジョギングをしっかり行った。「この体重でジョギングをすれば負荷は大きいですから(笑)」。11月にトレーニングを再開し、1月末まではやりを握らず体力、筋力などをしっかり強化。ウエイトトレーニングの挙上重量やコントロールテスト(基礎的な体力・運動能力測定)の数値が向上した。

助走スピードは北口の課題とずっと言われてきたが、北口はやみくもに助走スピードを上げなかった。

「データを見ると世界のトップ選手は私より速いのですが、速く走ろうとしているわけではないんです。世界記録保持者のシュポタコヴァ選手もそうです。実際、速く走っているようには見えません。やり投は助走速度よりも、最後の投げの局面で右足、左足と着くときの速度が速いことが重要と言われています。ゆっくりの助走でも、減速が小さく走れている人が遠くに投げているんです。私はつねに、(減速を小さくするために)頑張らずに速く走りたいと思っています」

これはシーズンイン前に取材したときのコメントだが、日本選手権後には「速く走っている感覚はありませんが、体力レベルが上がっているから実際の助走スピードは上がっています」と話していた。今季の北口は助走スピードが以前より上がった中で、投げの局面で崩れない助走ができている。

やり投を始めた高校時代からずっと、北口は自身の投てきに問題意識を持ちながら、外国人選手を観察し続けてきた。小中学校でバドミントンや水泳をしていた頃から「小さい人と同じスピードで動くのが難しい」と感じていたが、バスケットボール選手だった母親からも、体格の大きい外国人の動きを見るようにアドバイスをもらったという。

まだ24歳の北口だが世界を見続けてきた期間が長く、それが今季の助走につながっている。

メダルを狙わないのは練習で自信を持てるようになったから

北口は練習では飛距離が出ないため試合との差が大きく、練習で自信を持つタイプではない。
東京五輪もメダルを目標に臨んだが、自信があったわけではなかった。予選の1投目で62m06を投げたとき、6cm差で予選落ちしたドーハのこともあり、通過できる自信を持てなかった。
実際は60m94まで通過したが、「メンバーを見たらみんな投げてくる」と思ってしまった。それで2投目、3投目で頑張りすぎてしまってケガをした。

それに比べて今シーズンの北口は、練習に自信を持っている。飛距離が出ていなくても、練習でこれができているから試合ではこうした投てきができる、とイメージできる。それで落ち着いて試合に臨むことができている。

北口は世界陸上の参加標準記録(64m00)を、破ることができなかった。しかし日本選手権で投げた63m93は今季世界7番目の記録で、前述のようにダイヤモンドリーグでも優勝した。記録は風など気象条件に左右されるが、北口の“力”は世界のトップにあるのは明らかだ。

「ドーハや東京五輪は、予選通過記録の63mを必ず投げないといけない、という気持ちが強すぎました。今年は標準記録の64m00を破れていませんが、あまり記録にとらわれずここまでやってきました。予選は通過記録(オレゴン大会は62m50)を目標に投げますが、自分がやってきたことに自信を持って臨めば、結果は自ずとついてくるものだと考えています」

今季の北口と外国勢の状況から、予選通過は間違いない。

しかし決勝でメダルを狙って頑張ると、東京五輪予選の二の舞を演じてしまうかもしれない。入賞を狙った方が、練習でやって来たことを出し切ることができる。今の北口にとって、その方がメダルに近づく結果になるはずだ。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)