利上げ観測は大きく後退、市場は10月据え置きを意識
9月30日に公表された8月の米個人消費支出(PCE)デフレーターは、市場予想を下回る内容となった。総合PCE価格指数は前年比3.4%上昇と前月から横ばいだったが、市場予想を下回ったほか、7月分も前年比3.7%から3.4%へ下方改定された。コアPCE価格指数も前年比3.0%となり、前月の3.3%から大きく下方修正されている。
今回の統計では、米商務省経済分析局(BEA)が価格算出方法を見直し、2021年まで遡って改定を行ったこともインフレ率低下に影響した。具体的には、ソフトウエア・関連サービス、資産運用手数料、法務サービスなどの価格推計手法が変更され、過去のサービス価格の伸びが全般的に下方修正された。
前日にウィリアムズNY連銀総裁が10月FOMCでの追加利上げに慎重な見方を示していたこともあり、市場では利上げ観測が後退した。FF金利先物市場が織り込む10月利上げ確率は約37.1%と、前日の約47.1%から低下した。9月24日には約70.9%まで上昇していたことを考慮すると、市場の警戒感はかなり落ち着いてきた印象である。10月FOMCで追加利上げが実施される可能性は低下している。
長期金利はなお上昇、利上げ観測だけでは説明できず
もっとも、利上げ観測の後退にもかかわらず、米長期金利は上昇を続けている。この日、10年国債利回りは5.28%と前日比+4.9bpとなった。2年金利の上昇幅が同+1.0bpにとどまった一方で、30年金利は同+6.3bpと上昇しており、イールドカーブはベアスティープ化した。長期金利は、利上げ観測が高かった9月24日の5.20%よりも高い。
これは、足元の長期金利上昇がFRBの利上げ観測の高まりによるフラット化圧力を主因としているわけではないことを示唆している。この日の金利上昇を分解すると、実質金利が前日比2.6bp上昇、ブレークイーブン・インフレ率(BEI)が同2.4bp上昇していた。インフレ指標が予想を下回り、利上げ観測が後退したにもかかわらず、長期インフレ期待が上昇した背景には、FRBの利上げ観測が後退したことで、将来的なインフレ抑制への期待もやや弱まったことがあるだろう。米国経済の底堅さが意識されるなかでは、FRBのハト派姿勢はインフレ懸念につながりやすい。
注目すべきはFRBよりも財政リスクと米経済
一方で、実質金利上昇の背景としては、①米国の債務問題や財政リスクへの懸念が根強く残っていること、②FRBのハト派化によって実体経済が一段と上振れする可能性が意識されたこと、の二つが大きいだろう。特に前者は、米国債の供給拡大や財政の持続可能性への懸念を通じてタームプレミアムを押し上げる要因となり得る。
現在の米債市場では、「インフレ懸念」「FRBの利上げ観測」「債務問題」「強い米経済」という四つの要因が複雑に絡み合っている。そのため、利上げ観測が後退したからといって長期金利が低下するとは限らない。この日も、仮に債務問題への警戒や米経済の強さに対する見方が後退していたのであれば、PCEの弱い結果を受けて長期金利はむしろ低下していたはずである。
こうした点を踏まえると、市場参加者が今後重視すべきなのは、インフレ指標やFRB高官発言だけではない。むしろ、財政リスクがどこまで拡大するのか、そして米国経済が高金利環境の中でもどこまで強さを維持できるのかという点である。これらの不透明感が解消されるにはなお時間を要するとみられ、少なくとも現時点では米長期金利の上昇圧力が容易に解消される状況にはないと言わざるを得ない。
市場への配慮を強める高市政権
9月30日に日経新聞が報じた高市首相の所信表明演説原案は、これまでの「積極財政」一辺倒の印象を和らげ、市場との対話を重視する姿勢が色濃く表れている。日経新聞によると、高市首相は「『責任ある積極財政』を巡り『経済や市場が想定と異なる動きを示した場合には影響を分析して対応を機動的に講じる』と強調する。金利などの動向をみて年間の国債発行額を決める方針も説明する」という。国債発行額について市場環境を考慮する姿勢を明示したことは、財政リスクへの警戒を強める市場を意識した発信とみられる。
この日は城内経済財政担当相も「経済財政諮問会議後の会見で、日銀と経済・物価で大きな認識の齟齬があると考えていない」(ロイター)と述べた。高市政権発足当初は「積極財政」や「リフレ政策」が前面に押し出されていたが、ここにきて政府高官からは市場の不安を抑制しようとするコミュニケーションが続いている。所信表明演説でも同様に、財政や金融政策を巡る警戒感を和らげるメッセージが盛り込まれる可能性が高いだろう。
それでも消えない積極財政路線
もっとも、今回の演説原案を詳細にみると、積極財政路線そのものが大きく修正されたとは言い難い。日経新聞によれば、「『機動的な対応』は経済が冷え込んだ場合の補正予算の編成や、金利が高騰した際の歳出削減などを念頭に置く」とされ、「『責任ある積極財政』の下で補正予算は原則編成しない方針を示しているものの、経済状況に応じて柔軟に対応する姿勢を表明する」という。
高市政権はこれまで、景気対策を補正予算に依存するのではなく、当初予算の段階で成長戦略や投資促進策を織り込むことで、財政悪化を抑制する方針を示してきた。その意味では、補正予算活用の余地を明示したことは、財政拡張への懸念を高める要因として、債券市場にはネガティブに映るだろう。一方で、市場配慮を強め過ぎれば、「積極財政」を掲げてきた従来の路線を後退させたとの見方につながる可能性もある。高市政権としては、財政規律への配慮を示しつつも、成長投資を重視する姿勢は維持したい考えなのだろう。
また、高市首相は同日にX(旧ツイッター)で「日本のPBは主要国で最も改善しており、長期金利の変動を財政収支の動向のみで説明することはできない」と投稿した。PB改善を強調すること自体は財政リスクを抑制する方向の発信と評価できる。しかし一方で、長期金利上昇を財政問題と切り離して論じようとする姿勢は、債券市場からみれば必ずしも納得しやすい説明とは言えず、警戒感を残す要因にもなり得るだろう。
市場との対話改善はリスク低下要因
おそらく高市政権は、市場とのコミュニケーションを改善することで、長期金利の上昇や円安進行への懸念を和らげることができると考えているのだろう。あるいは、財政健全化を意識しているという姿勢そのものを市場に示すことで、建前上は信認向上を図っているというアリバイを作りたいということかもしれない(リフレ政策に否定的な米国政府に向けたアリバイ作り)。
実際、足元では政権発足直後にみられたような急進的なイメージは薄れつつあり、市場との対話を重視する姿勢は明確になっている。その結果、これまで極めて強かった債券市場からのポリシーミックス批判は徐々に弱まる可能性が高いと筆者はみている。ただし、補正予算の活用余地を残していることが示すように、高市政権が「積極財政」の旗を降ろすとは考えにくい。市場とのコミュニケーション改善によって市場リスクは一定程度低下するだろうが、スタンスが変化するペースは緩やかにとどまるだろう。
(※情報提供、記事執筆:大和証券 チーフエコノミスト 末廣徹)