(ブルームバーグ):米国と中国の対立を読み解く際には、古代ギリシャが引き合いに出されることが多い。しかし、アジアの古典的思想家らは、より優れた答えを示しているかもしれない。
中国の習近平国家主席は先月、トランプ米大統領を北京に迎えた際、かねてから繰り返し言及してきた言葉を改めて持ち出した。
それが、米ハーバード大学の政治学者グレアム・アリソン氏が2010年代前半に広めた「トゥキディデスのわな」だ。習氏は、米中がこのギリシャに端を発する難題を乗り越え、新たな関係を築くことができるかと問いかけた。
習主席が言及したのは、紀元前5世紀の歴史家トゥキディデスのペロポネソス戦争に関する記述からアリソン氏が導き出した教訓だ。すなわち、台頭する新興国が覇権国に挑戦する際には、危険な構造的緊張が生じ得るという考え方である。
ペロポネソス戦争は古代ギリシャを荒廃させた。トゥキディデスはその分析を通じ、戦争の原因を説明する歴史上最も影響力のある見方の一つを残した。
「アテネの台頭と、それがスパルタに抱かせた恐怖が戦争を不可避なものにした」。この考え方は、その後の米中関係を巡る議論の多くに影響を与えてきた。
優れた国家運営とは戦争を回避すること
トゥキディデスのわなは、大国間競争がいかに危険なものになり得るかを示す有益な警告だ。しかし、中国の指導者が解決策を求めるのであれば、もっと身近な歴史に目を向けるべきだろう。
このわなの最大の危険性は、各国が戦争を不可避なものと考え始め、相互不信が現実の対立を招いてしまうことだ。アジア独自の戦略思想は、その修正材料を提供してくれる。優れた国家運営とは、戦争に勝つことではなく、そもそも戦争を回避することだという発想だ。
もちろん、これは貿易やテクノロジー、台湾問題を巡り米中が直面する現実の緊張を軽視していいという話ではない。また、トゥキディデス自身が戦争を推奨していたという意味でもない。多くの解釈によれば、彼の関心は戦争を賛美することではなく、指導者らがなぜ戦争以外に道はないと思い込んでしまうのかを理解することにあった。
それでも、米中の緊張関係、そしてそれが世界にもたらす影響を考えれば、異なる発想にも目を向ける価値がある。
孫子とチャーナキヤ
アジアの古典的戦略家の中では、2つの著作が際立っている。中国の軍事思想家である孫子の名で伝わる兵法書「孫子」と、インドのチャーナキヤ(カウティリヤとしても知られる)が記したとされる国家統治論「実利論(アルタシャーストラ)」だ。
チャーナキヤはしばしば「インドのマキャベリ」と呼ばれ、紀元前321年ごろに成立したマウリヤ朝の建国者チャンドラグプタの顧問を務めた。この帝国はインド中・北部に加え、現在のイランの一部にまで及び、高度な統治体制を備えていた。
歴史家らは今でも、現在伝わる孫子やチャーナキヤの姿がどこまで事実なのかと議論している。しかし、両著作が何世代にもわたりアジアの戦略思想に影響を与えてきたことに疑いはない。「孫子」は、複数の著者による軍事思想の集大成である可能性があり、アルタシャーストラも数世紀にわたり編さんされたと考えられている。両者はいずれも勝利を重視したが、その哲学は異なっていた。
孫子の兵法書は逆説的に言えば、戦争を避けるための手引だった。
「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」と同書は説いている。一方、アルタシャーストラは外交や統治だけでなく、諜報活動や暗殺、攻勢的軍事作戦も扱っているが、それでも戦争は最後の手段と位置付けていた。兵力と財貨が無駄に失われかねないからだ。
米中首脳が心にとどめるべき教訓
習主席からすれば、最終的にはトゥキディデスよりもチャーナキヤの方が有益かもしれない。チャーナキヤは伝統的に、影響力の拡大を目指す野心的な統治者に助言を与えた人物として描かれている。その課題は、中国が現在直面する問題とよく似ている。すなわち、新興国はいかにして対抗勢力の結集を招くことなく、影響力を拡大できるかという問題だ。
チャーナキヤの答えは外交と同盟の構築だった。だが、そうした姿勢は現在の中国には欠けているように見える。
米国もまた、トゥキディデスのわなという見方には注意を払うべきだろう。スパルタのように考えるのではなく、むしろ孫子のように考えた方がよい。孫子の結論は、最も成功する国家とは戦争を招くのではなく、それを未然に防ぐ国家だというものだった。また、トランプ大統領がイランとの悲惨な戦争に踏み切る前に、アルタシャーストラを読んでいればよかったのだが。
もっとも、アリソン氏自身も、トゥキディデス研究の中で戦争回避の道筋を示している。冷戦期に磨かれた5つのC、すなわち慎重さ(caution)、対話(communication)、抑制(constraints)、妥協(compromise)、協力(cooperation)を推奨している。
米中にとって、これは対話ルートを維持し、危機が制御不能に陥る前に管理し、不快な妥協を受け入れ、利害が一致する分野で協力することを意味する。気候変動はその出発点の一つとなるだろう。同様に、台湾問題のような火種が、より大きな紛争の引き金になることを防ぐことも重要だ。
確かに、米中が今世紀最大の地政学的競争と向き合う上で、トゥキディデスは今なお必読の存在だ。しかし、台頭する国と支配的な国の対立は不可避だという考え方に指導者たちがとらわれ過ぎれば、その衝突を現実のものにしてしまう危険がある。アジアの戦略思想は、最も偉大な勝利とは、しばしば起きずに済んだ戦争そのものだということを思い出させてくれる。
これは、習主席とトランプ大統領の双方が心にとどめるべき教訓だ。
(カリシュマ・ヴァスワニ氏はブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、中国を中心にアジア政治を担当しています。以前は英BBC放送のアジア担当リードプレゼンテーターを務め、BBCで20年ほどアジアを取材していました。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの見解を反映するものではありません)
原題:Asia’s Answer to the Thucydides Trap: Karishma Vaswani(抜粋)
もっと読むにはこちら bloomberg.com/jp
©2026 Bloomberg L.P.