偉大な知性には、奇妙な思考の脱線が付きものだ。英国の世界的経済学者ジョン・メイナード・ケインズは1930年、何百万もの人々を失業に追い込んだ大恐慌について考えていたが、その合間を縫って、「孫たちの経済的可能性」に関する魅力的なエッセーを執筆した。

100年後の生活はどうなるだろうかとケインズは問い掛けた。彼の出した答えはこうだ。不況は一時的な混乱に過ぎず、経済は再び好循環の軌道に戻る。だが、本当の問題はそこから始まる。

技術革新と複利の相乗効果で、アダムとイブの時代から人類を悩ませてきた「生計をどう立てるか」という問題は解決される。孫の世代は、週15時間働くだけで、あらゆる物質的欲求を満たせるようになる。

しかし、ケインズが「人類の永遠の課題」と呼ぶ問題は残る。経済的必要性から解放された自由をいかにして良い人生を送るために使うか。ケインズの言葉に倣えば「いかに賢明に心地よく、豊かに生きるか」という問いだ。

余暇に関するケインズの研究は、大恐慌の問題解決を巡る業績(1936年に「雇用・利子および貨幣の一般理論」を出版)ほど敬意を払われてこなかった。多くの成功者は週60時間以上働き、米国人の80%余りが「時間がいくらあっても足りない」と考えている。人々が「十分」という概念の定義を一体どこまで引き上げるか、余暇より労働をどの程度好むか、それらをケインズは明らかに過小評価していた。

けれどもケインズの予測は、仕事に取りつかれたエリート層が思い描くほど的外れではなかった。ノーベル経済学賞受賞者のロバート・ウィリアム・フォーゲルは、生涯有償労働時間の平均が1880年の18万2100時間から1995年には12万2400時間に減ったと実証した。寿命が延びた時代に33%減少したことになる。

2000年から19年にかけ、米国の1人当たり労働時間は926時間から885時間に減った。フォーゲルによれば、1875年には家計支出の74%を生活必需品(衣食住)が占めたが、1995年には68%が余暇活動に充てられた。

さらにケインズの100年の期限に間に合う形で、人工知能(AI)は彼の正しさを証明しようとしているかのようだ。AI革命は、農業にとってのコンバイン収穫機、機械的な仕事にとっての工場と同様の変化を知識労働にもたらし始めた。

人間の仕事だった定型業務を機械化し、バリューチェーン(価値連鎖)のより付加価値の高い領域に容赦なく進出している。多くの知識集約型企業は中間管理職ポストを削減し、新卒採用を縮小しつつある。政治学者のヤシャ・モンク氏は、AIが全く立派な(筆者は平均以上と考える)政治理論論文を生み出せると実証したばかりだ。

雇用の黙示録になりかねない今の状況に対し、われわれは何をなすべきか。大部分の論者は、この問題を狭い経済概念で捉えてきた。敗者が生活していく十分な資金を確保するにはどうすればよいか。労働者が余剰な世界でいかに需要を維持できるか。シリコンバレーでは、ベーシックインカム(最低所得保障)の導入が提唱され、 一部の進歩的エコノミストは、ロボットやITシステムへの課税案を支持している。

だがブリンク・リンジーが時宜を得た新たな著作「The Permanent Problem: The Uncertain Transition from Mass Plenty to Mass Flourishing」(永遠の課題:大衆の豊かさから人間的開花への不確実な移行)で主張した通り、人々が増えた余暇を破壊的でなく有意義に活用するにはどうすればよいか、このケインズが残した課題も同様に差し迫った問題だ。

雇用喪失の最大の問題は、仕事が単なる生計の手段でない点にあるかもしれない。社会的なつながり、誇りと自尊心、達成感、端的に言えば、生きがいということになるが、それらの心理的恩恵を仕事はまとめて提供してくれる。

仕事の最も困難な部分は、往々にして最もやりがいがある。退屈な作業(弁護士なら複雑な案件、出版関係者なら校正作業)をこなさなければならないとわれわれは不満を漏らす。だが同時にそれが同僚との深い絆を築き、長期的キャリアで最も大きな成功の土台を築くことになる。

知識労働に関しては、経済的報酬以外の恩恵が、恐らくより切実な問題だ。知識労働者が夜遅くまで働くのは、仕事に深く没頭しているからだ。知力を発揮することで、個人的満足だけでなく社会的満足、評価の高い弁護士や学者というステータスが得られる。

ケインズは大衆労働から大衆余暇への移行に伴い、人々は生産的経済で昔ながらのよりどころを失い、「神経衰弱」に陥りかねないと警告した。これは既にポスト工業化社会の現実だ。

クリントン元米大統領やブレア元英首相ら中道派は、ロンドンやニューヨークの勝者に課税し、その資金で英スカンソープや米スクラントンといった衰退した都市の敗者の不足を補えば、ポスト産業資本主義の問題を解決できると計算した。しかし生計を立てることと人々の自尊心がいかに結び付いているかという認識を欠いていた。その結果生じた不満は、人々が酒や薬物に溺れて命を落とす「絶望の死」のまん延、英国の欧州連合(EU)離脱とトランプ現象という反乱の両方を招いた。

ラスコーリニコフ化も

次の「神経衰弱」は、知識労働者を襲うだろう。学校での懸命な努力が立派な職を保証しないと悟った中国の「寝そべり族」、英国での緑の党への支持拡大など、若者の間で既にその兆候が見られる。これらの現象はAIの本格始動のほんの前触れに過ぎない。AIは知識労働の職を奪うだけでなく、より広く知識経済をゆがめ、人々の集中力の持続時間を低下させ、二極化を進行させ、認識の混沌(こんとん)状態をまん延させる。

ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフのような文学史上最も狂信的な人物やスターリン、毛沢東、ポル・ポトのような歴史上最も忌まわしい人物が、いずれも疎外された知識人だった事実をわれわれは警告と受け止めるべきだ。

ではどうすれば、知識階級の「ラスコーリニコフ化」を防げるだろうか。人々が収入以外に仕事に代わるものを必要としている事実をまず認識すべきだ。目的に向けた努力が必要なのだ。知識社会の中心機関である大学の再編成から始めなければならない。 あまりにも多くの大学が、幅広い教養を備えた人間を育成するという伝統的な機能を放棄し、さまざまな分野の専門家(人文科学では、正しい評価ではなく脱構築の専門家)の量産に傾いている。この傾向を逆転させる必要がある。

大学は、生産より余暇の問題に力点を置くべきだ。人々が芸術と人間社会における偉大さを正しく理解し、創造力を育む手助けをするのだ。自らの役割を主に「仕事の世界への準備」と見なすことをやめ、「生涯学習」の提供に力を注ぐべきだ。今の「象牙の塔兼若者養成所」は、万人の文明の導き手になる必要がある。充実感と社会的つながりを提供するボランティア組織の再生と、大学の変革を同時に進めることが求められる。

これは1960年代に流行したドロップアウト(社会システムや道徳観の意図的放棄)やコミューンでの共同生活と同様、ユートピア的に聞こえるかもしれない。それでも新たなケインズ革命の土台は既に築かれつつある。

ジェームズ・ハンキンスやアレン・ゲルゾといった将来を見据える学者は、人間の偉大さの研究を再び人文科学の中心に据えようとしており、ブックフェスティバルや読書会は活況を呈している。世界の主要な美術館も過去最高の来場者数を記録した。情報技術は人々の注意を散漫にさせるだけでなく、文明の発展にも役立つ。語学学習を支援するDuolingoは1日当たりのアクティブユーザーが5000万人を上回った。

ケインズは、われわれがいつか必要の問題を解決できると考えた点で誤っていた。住宅など基本物資の不足や低成長の問題に政府が頭を悩ますのは当然だ。けれどもテクノロジーが余暇の拡大という素晴らしい働きをする中で、「いかによく生きるか」という永遠の課題が、これまでになく大きく突き付けられるという認識は正しかった。

(エイドリアン・ウールドリッジ氏は、グローバルビジネスを担当するブルームバーグ・オピニオンのコラムニストです。「才能の貴族:いかにして実力主義が現代世界をつくり上げたか」の著者で、英誌エコノミストでもエディターやコラムニストを経験しました。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません)

原題:AI Is Proving a 100-Year-Old Prediction True: Adrian Wooldridge(抜粋)

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