(ブルームバーグ):中国は今週、米国とのテクノロジー競争においてどこまで踏み込む用意があるのかを示した。シンガポールに本社を移した中国発の人工知能(AI)スタートアップ、マナスを米メタ・プラットフォームズが20億ドル(約3200億円)で買収することを阻止した。
AIエージェントを開発するマナスは、本社移転から数カ月後の昨年12月、マーク・ザッカーバーグ氏率いるメタに身売りすることで合意していた。
グローバル展開を目指す中国のAIスタートアップにとって有望に見えた道は、突如として閉ざされた。中国政府は短い声明で、ほぼ完了していた取引の解消を命じた。マナスのエンジニアはすでにメタのシンガポール拠点で働き、投資家への支払いも済んでいた。
マナス型の国際化モデルは事実上の終焉(しゅうえん)を宣告された。この取引の詳細や中国側の阻止動機については同僚らの記事に譲るが、シンガポールにいる筆者の立場から見ても、多くの中国人起業家にとってシンガポールが依然として有力なビジネス拠点であるとの見方は変わらない。
「殺雞儆猴」
まず、なぜ中国人が設立したマナスがシンガポールに引き寄せられたのか。世界2位の経済大国である中国では、政府の影響力の範囲を見極めることが長年の課題となっている。
口頭での保証は、文書化されるか、あるいは発言者が絶対的な権力を持たない限り、本当の許可とは見なされにくい。また、ある活動がきょう許容されていても、政治環境の変化で明日には成り立たなくなる可能性もある。
そうした不確実性を踏まえると、有望なAI企業であるマナスへの投資は、中国にある場合よりもシンガポールにある方が確実性が高いと考えられてきた。
ワシントンでの懸念は、中国が米国モデルを抽出し、西側の半導体テクノロジー活用によってAI競争で優位に立ちつつあるというものだ。一方、北京でもまた、AIの効率性やロボット工学などの分野での優位性維持とデータ安全の確保に関心が強まっている。
今回の買収阻止は、中国で古くからいわれている「殺雞儆猴」という言葉で理解できる。ニワトリを殺してサルを脅す、つまり、見せしめの処罰という考え方だ。
テクノロジー覇権を目指す中国共産党の習近平総書記(国家主席)の広範な政策に照らせば、人材やデータ、ノウハウがシンガポール経由で資金力のある米企業へ流出する流れは容認できなかった。
しかし、それでも、より広い市場へのアクセスを求め、中国のテック起業家がシンガポールなどに向かうトレンドは続いている。今後も減速するとは考えにくい。
中国の地方都市並みの規模に過ぎないシンガポールだが、中国のテック企業にとって魅力的なユニークな利点を備える。最も基本的な点の一つは、英語が流ちょうでなくても問題ないことだ。ビジネス街では中国語だけで十分に活動できる。
清華大学国家戦略研究院の劉旭リサーチフェローによると、AIガバナンス(統治)のツールボックスが進化する中で、スタートアップの創業チームは一段と大きな不確実性に直面する見通しだ。
「最終的には、この複雑な競争が、研究者や起業家の一部を、規制が緩く地政学的環境もそれほど厄介でないシンガポールのような国へ移動させ得る」と劉氏は筆者に語った。
起業家が中国を離れシンガポールに向かう最大の理由は、恐らく収益機会の大きさだ。景気低迷下で激しい競争が続き、企業が薄い利益率をさらに削らざるを得ない中国では、利益を上げることが一段と難しくなっている。
高成長のテック企業でさえ、四半期の増益率は3年ぶりの低水準に落ち込んだと報告している。状況は深刻で、中国当局はここ数年、過剰生産や値下げ合戦に象徴される過当競争を指す「内巻」に対し、繰り返し警告を発している。
パラレルなビジネス圏
中国の一部テック企業を国外へと押し出すもう一つの要因は、地政学的圧力だ。中国と海外の顧客を同時に相手にすることがますます難しくなっている。
AIと半導体開発、ツール製造の分野における中国企業の経営陣との対話からは、多くの企業が国内市場に軸足を置く一方、海外へ拠点を移した企業は国際展開に集中している実態が浮かぶ。言い換えれば、選択を迫られている。
パラレルなビジネス圏が形成されつつある。国内市場と海外市場の双方に対応することも難しくなっており、それぞれで成功するために必要な基準や能力、経営資源が異なるためだ。
例えば中国のAI製品は、国外で一般的なモデルが国内では利用できないことから、国内モデルを中心に構築されている。中国の開発者にとって海外展開は、アンソロピックの「Claude(クロード)」やグーグルの「ジェミニ」といったプラットフォームとのより深い統合を意味する。
サンフランシスコに本社を置くアンソロピックは、プロキシサービスを通じた中国企業によるクロードへのアクセスを阻止しつつあり、分断はさらに進んでいる。
こうした環境下では、中間的な立ち位置で、言語や規制の障壁が小さいシンガポールは魅力的だ。国際的なビジネス慣行・法制度と深く統合されつつ、人口の約4分の3が中国系という国は多くない。シンガポールはまた、アジア有数の人材層を有し、人口わずか600万人ながら世界有数の理工系大学を2校擁している。
さらに、国際資本市場へのアクセスが近く、資金調達の場として有利であると同時に、富裕層がファミリーオフィスを設立する主要な拠点でもある。特にドルでの資金調達や、中国の厳格な外為規制を回避するために資産を海外に移したい中国本土の起業家が注目する国だ。
マナスの取引が混乱の中で崩壊したことは、中国の起業家を萎縮させかねない衝撃的な出来事に見える。しかし同時に、それは中国政府が越えてはならない一線だとするレッドラインを企業が踏み越えた特異な事例であり、ある程度予見可能だったとも言える。
中国政府や官製メディアの論調を見る限り、中国は依然として外国からの投資に門戸を開いている。ただし、AIのような戦略分野での突発的な買収は例外となる可能性をはらむ。
シンガポールに進出する中国のスタートアップは今後も増え続ける公算が大きい。だが、今後は北京からの明確な警告を踏まえた上で事業運営を迫られることになる。
(この記事は、テクノロジー業界のビジネスを世界中のブルームバーグ記者が掘り下げて伝えるニュースレター「Tech In Depth」からの抜粋です)
原題:The Manus Mess Won’t Dim Singapore Startup Appeal: Tech In Depth(抜粋)
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