ウォール街で1日当たり6520億ドル(約96兆4000億円)の取引を高速ネットワークでさばくマーケットメーカーのシタデル・セキュリティーズ。その原動力の一つは意外にも、一冊の紙の本だ。

その本は数百ページに及び、厚紙に印刷され、製本には丸一日かかる。分厚い冊子で、重さは約50ポンド(約23キロ)と推定される。社内では「ゴールブック」と呼ばれ、年に一度作成される。

完成すると、最高経営責任者(CEO)のペン・チャオ(趙鵬)氏に手渡される。数学オリンピック出身の俊才である趙氏は、冊子の余白に走り書きやメモを加え、控えめ過ぎると感じた目標には修正を促す。

このブックには社員約1800人それぞれから寄せられた5000件超の目標が記されている。元社員や現役幹部へのこの冊子についての取材で明らかになったのは、データに基づく厳格な成果管理が、シタデル・セキュリティーズがウォール街の大手銀行と取引覇権を競う力の源になっているということだ。

アルファキューション・リサーチ・コンサーバトリーの創業者、ポール・ロワディ氏「シタデル・セキュリティーズは細部への執着が尋常ではない。これが同社の成功を支える秘訣(ひけつ)の一つだ。組織のあらゆる部門が費用ではなく収益源と見なされている。この考え方を持つ企業は非常に少ない」と述べた。

2002年の設立以来、シタデル・セキュリティーズはマーケットメーク業務で伝統的な銀行に挑み、株式やオプション、債券、外国為替へと事業を広げてきた。現在、米国株の個人投資家向け取引の約35%が同社のプラットフォームを経由して執行されている。昨年は過去最高の97億ドルの取引収入を計上し、今年上期も好調を維持して欧州の大手ライバルを上回った。

ケン・グリフィン氏

シタデル・セキュリティーズが年商100億ドル規模の巨人に成長するはるか前、創業者のケン・グリフィン氏と趙鵬CEOは、次の一手を模索していた。事情に詳しい関係者によると、両氏は事業部門や新市場での目標を含む年間計画を立てることを決め、これが後に「ゴールブック」へと発展した。

多くの企業が目標を掲げるが、シタデル・セキュリティーズほど精緻に策定する例は少ない。ゴールブックはビジョンの提示と行動計画の双方を担ってきた。過去の版にはインド進出や中国戦略、さらに24年3月に正式に発足した社債取引部門の準備について記されていた。同部門は今年、投資適格債5000億ドルの取引を見込んでおり、初年度10カ月間の2500億ドルから倍増する見通しだ。

作成開始

シタデル・セキュリティーズのゴールブック作成は1月に始まる。事業部門責任者や経営幹部が、各部門・地域にまたがる数百件の施策をリスト化する。各提案には実行期限や成果指標が含まれ、収益や業務効率改善に直結する場合もある。

その後1カ月にわたり、経営陣は一連の長時間会議でアイデアを議論する。事業責任者はインド事業の強化から新卒採用まで幅広い計画を提示する。趙CEOはすべての施策を精査する。承認は安易には得られない。

趙鵬CEO

3月になると仕上げ段階に入る。全社員に課されるのは、自分の行動が各施策にどう貢献するかを750字以内で説明することだ。責任範囲と短期的なマイルストーン、評価方法を明確にし、箇条書きも推奨される。

管理職から見ると、750字以内で自身の責任範囲を要約できないのは、執筆者が目標を十分に考え抜いていないか、その本質を絞り込めていないことを意味する。

冊子が印刷されると、作業は責任分担のマッピングへと移行する。目標が書かれているのはアナログな冊子だが、目標の進捗(しんちょく)は社内システムで追跡される。各目標に影響する最下層まで追跡し、上層部で目詰まりしないようにする。

この仕組みは経営陣が責任を社員と共有する基盤になっている。シタデル・セキュリティーズではこれが不可欠だ。「一緒に働く人々との社会契約を明確にすることが重要だ」と、最高人事責任者(CPO)のアレックス・ディレオナルド氏は語った。目標はしばしば野心的だが、目標の未達成だけを理由に解雇されることはない。

目標策定時に議論が白熱する場面もある。ある会議では、新規事業に対する高い目標は非現実的だとする社員の指摘に、趙CEO(42)は真っ向から応じた。これまでに築いてきたものは、最初はどれも非現実的に思えたはずだと指摘し、野心的な目標設定はシタデル・セキュリティーズのDNAの一部だと強調。「前に進め」と社員に促したという。

シタデル・セキュリティーズのトレーディングフロア(ニューヨーク、2024年)

状況次第で目標を修正することもある。外部要因で制御不能になった場合や、会社の戦略が変わった場合だ。ディレオナルドCPOによると、年間を通じて社員の10-20%が目標を調整している。

年末が近づくと、経営陣はニューヨークやマイアミの会議室に集まり、数日間にわたり食事付きの会合を開く。通常は事業領域ごとに1日を費やし、大規模な部門では2日以上となり週末に及ぶこともある。組織全体と全社員の評価が終わるまで会議は続く。

今年の年次会合までに控える課題の一つは、社債取引部門の電子化強化だ。設立当初は電話での顧客対応から始まったが、現在は電子取引へリソースを拡大している。ポートフォリオ取引も年内の開始を目指している。

その後は新たな目標と26年版ゴールブックの作成に移る。「われわれはゴールで立ち止まらない。各マイルストーンは次の段階への布石に過ぎない。当然プレッシャーはあるが、そういう思考回路を持っていなければ、ここまで来ることはできなかっただろう」と趙CEOはインタビューで語った。

原題:A 50-Pound Book Holds the Keys to Citadel Securities’ Future(抜粋)

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