企業経営者が危機から学ばなければ命取りになり得る。政府のリーダーの場合、それだけでは済まない。何百万人もの命が危険にさらされる。残念ながら、今の米国はまさにその道を進んでいる。ケネディ厚生長官とその上司、トランプ大統領の政策ギャップが原因だ。

少し歴史を振り返りたい。中国の科学者が2020年1月10日、「正体不明のウイルス」の遺伝子配列を公開した。このウイルスは数十人を発症させ、少なくとも1人の死亡を招いていた。

それから42日後、世界中に新型コロナウイルスが拡大する中で、ボストン近郊の研究者らが実験用ワクチンの第1弾を米規制当局に送付した。

さらに3カ月後、トランプ氏は当時の大統領としてワクチンの開発・承認・流通を加速させる180億ドル(約2兆7000億円)規模の取り組み「ワープスピード作戦」を発表した。

1年を経ずして、世界中で数十億回分のワクチンが接種され、何百万もの命が救われた。多くの米国民もその恩恵を受けた。トランプ氏は「ワープスピード作戦は、民主党であれ共和党であれ、米国でかつてないほど素晴らしい成果の一つだ」と語った。

その言葉は全く正しい。しかし、トランプ政権2期目の厚生長官がこれに異を唱えている。トランプ氏は部下に自身のレガシーを壊させるつもりなのだろうか。

ケネディ氏は最近、いわゆるメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンの研究開発に関連する契約5億ドル分を打ち切った。その理由として、mRNAテクノロジーは呼吸器感染症には効果がないと主張しているが、これは誤りだ。

米国立衛生研究所(NIH)のバタチャリヤ所長はその点を理解しているはずで、契約中止について、国民の信頼が十分に得られていないとの別の理由を挙げた。もっとも、ケネディ氏自身がそうした不信をあおってきた張本人であることには触れなかった。

だとしても、命を救う医薬品を巡る誤解に対して取るべき対応は、予算の打ち切りではないはずだ。地域社会や宗教団体、市民団体などあらゆる分野のリーダーと協力し、事実を伝えて不安を払拭(ふっしょく)するために、政府が率先して発信すべきだ。それこそがリーダーシップだ。

ケネディ氏は誤情報を広め、すでに進んでいたプロジェクトを止めるだけにとどまらず、mRNAワクチン研究への新たな連邦資金の提供も事実上取りやめた。この2つの決定によって、無数の米国民の命が危険にさらされることになった。

陰謀論

ケネディ氏が招いている危機の大きさを理解するには、mRNAワクチンがいかに画期的な技術かを知る必要がある。従来型のワクチンは、死滅あるいは弱毒化したウイルスの一部を体内に注入し、免疫系を刺激して抗体をつくらせ、実際に感染した際の重症化を防ぐというものだった。

こうしたワクチンの多くは、数百万個の鶏卵でウイルスを培養したり、バイオリアクターで細胞培養を行ったりして製造されており、いずれも非常に複雑で時間がかかる。

一方、mRNAワクチンはスピーディーに開発できる。mRNAは、細胞に特定の働きを指示する遺伝情報の鎖だ。

科学者たちは何十年にもわたり、mRNAを合成し体に特定の感染症への免疫反応を促す方法を研究してきた。この技術が実用化されれば、ウイルスを使わずにワクチンを製造できるため、開発期間を大幅に短縮できる。しかし、以前はmRNAワクチンが大規模に生産・試験されたことはなかった。

ワープスピード作戦は、こうした課題を克服し、史上最速でワクチンを完成させた。だが、この劇的な進展は、ワクチンがDNAを改変するとか体内にマイクロチップが埋め込まれるとか、不妊の原因になるといった荒唐無稽な陰謀論を生んだ。

全て事実無根で、まさにフェイクニュースだったが、ケネディ氏のようなワクチン懐疑派によって拡散されてしまった。無数の研究がワクチンの安全性を証明し、開発に貢献した2人の科学者はノーベル賞を受賞した。

誤情報の拡散を完全に防ぐことはできなかったが、ケネディ氏の行動は抑えられる。必要なのは、ホワイトハウスからの指示で同氏の決定を撤回させることだ。

このままで新たな感染症パンデミック(世界的大流行)となれば、中国など他国が数週間でワクチンを配布する一方で、米国の科学者たちは古いテクノロジーに頼らざるを得ず、国民は長蛇の列に並ばされることになる。

ケネディ氏の長官就任の承認に重要な一票を投じたビル・カシディ上院議員は先週、厚生長官が「中国に重要なテクノロジーを譲り渡し」、トランプ政権の目標を危うくしていると嘆いた。

その通りだ。しかし、カシディ氏をはじめとする連邦議員は、ケネディ氏が米国民の命を危険にさらすのを黙って見過ごしている。

政府のリーダーシップなしに民間が資金の空白を埋める可能性は低い。将来のパンデミックに備えた治療法の研究は採算が取れず、公的資金による支援が命を救う鍵となる。

ケネディ氏の決定は、1型糖尿病やエイズウイルス(HIV)、遺伝性疾患、さらにはがんを含む多くの疾病に対するmRNA研究にも悪影響を及ぼす。

繰り返すが、mRNA技術はがんの治療法に結び付く可能性がある。家族ががんと闘っている米国民のうち、果たして何人がケネディ氏の愚かな妄想のためにその命を犠牲にする覚悟があるだろうか。

ホワイトハウスは、トランプ政権1期目のこの驚異的な成功を思い出し、これを誇りとしてケネディ氏の暴走を止めるべきだ。そうすれば、トランプ氏は新型コロナワクチンの開発を加速させた大統領として歴史に名を刻むだけでなく、がんや他の病気の治療法をもたらした大統領として語り継がれることになるかもしれない。

(マイケル・ブルームバーグ氏はブルームバーグ・ニュースの親会社ブルームバーグ・エル・ピーの創業者で、過半数株式を保有しています。このコラムの内容は同氏個人の見解です)

原題:RFK Jr. Is Sabotaging Trump’s Health Legacy: Michael Bloomberg(抜粋)

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