(ブルームバーグ):今年6月、ニューヨークのマンハッタン南部にあるビルの屋上バーで、約150人のクオンツ研究者が人工知能(AI)スタートアップ、アンスロピックの社員との交流イベントに参加した。
このイベントでは、かつてウォール街のヘッジファンドでクオンツ業務に携わり、現在はシリコンバレーに拠点を移したアンスロピックの社員たちが、軽食をつまみながら参加者に同社への応募を勧めたという。アンスロピックは今月、ロンドンでも同様の交流イベントを開催し、人材獲得の国際展開を図る。
こうした採用キャンペーンは、同社のライバルであるオープンAIやパープレキシティAIが展開している取り組みとも重なる。AI業界では、クオンツ分野の出身者が要職を占める例も目立つ。オープンAIのマーク・チェン最高研究責任者(CRO)や、パープレキシティの共同創業者ジョニー・ホー氏もその一例だ。
利益追求型アルゴリズムよりもAIモデルの構築に魅力を感じて転身を図るクオンツ人材は多くの場合、金融業界に匹敵する好待遇が約束される。しかし、転職後の実務が期待外れに終わるリスクも抱えている。
「誘い文句は『われわれと一緒に究極のAIをつくろう』というものだ」と語るのは、かつてジェーン・ストリートでトレーダーを務め、現在はシステマティックトレーディング系スタートアップに在籍するアグスティン・レブロン氏だ。「しかし実際には、多くの人が『広告で人々にモノを買わせる方法を考える仕事』に行き着くのではないかと感じている」と続けた。
それでも、AI業界と金融業界との間で繰り広げられる人材獲得競争は、一段と激しさを増している。ウォール街にとっては、すでに熾烈を極めるクオンツ人材の争奪戦に新たな難題が加わった形だ。AI企業は金融機関にとって、同業他社への転職を禁じる「競業避止契約」の対象外であり、人材の流動性が高い。こうした要因も、AI業界への転身の動きを後押ししている。
ハイテク分野の人材採用を手がけるマイク・ドゥーナン氏は「過去12-18カ月で、クオンツの経歴を持つ人材を求めるAI企業やソフトウエア企業からの求人が40-50%程度増加した」と話す。
求人情報によれば、新人レベルのクオンツ人材でも最大30万ドル(4400万円)の基本給が提示されるケースがある。この金額には、業績連動型のボーナスは含まれていない。一方で、現在のAI企業も同水準の基本給を提示しており、報酬パッケージは自社株などのインセンティブを含めて構成されるのが一般的だ。
決め手は高揚感
雇用調査会社ライブ・データ・テクノロジーズがリンクトインの投稿や企業の公式サイトなどを分析したところ、ジェーン・ストリートやシタデル・セキュリティーズなどから、クオンツ人材が過去1年でAI企業に流出していることが明らかになった。
アーロン・トーマス氏とチャールズ・グオ氏は今年に入り、ジェーン・ストリートからアンスロピックに移った。インタビューで両氏は、前職について「働く環境として非常に優れていた」と評価する一方で、「次の大きな技術革新の一端を担えるという高揚感に惹かれた」と語った。
ジェーン・ストリートは本件に関するコメントを控えた。シタデルも人事関連の質問には回答を避けたが、同社のインターンシップ制度への関心が高まっていることに言及。今夏の応募者数は前年から20%増加したという。

オープンAIもコメントを控えたが、同社のサム・アルトマン最高経営責任者(CEO)は4月、X(旧ツイッター)への投稿でクオンツ人材に特化した採用イベントを告知していた。
パープレキシティのホー氏は、クオンツ人材への訴求点は必ずしも金銭的な条件だけではないと強調する。むしろ魅力となっているのは、「より新しく、刺激的な課題に取り組める機会」だという。ホー氏は、かつてタワー・リサーチ・キャピタルに勤務していた経歴を持つ。
評価されるスキル
クオンツ人材はアルゴリズムの遅延を最小限に抑える技術に長けており、この能力が、生成AI「ChatGPT」などの大規模言語モデル(LLM)において、ユーザーへの応答速度を競うAI開発企業から高く評価されている。
AI研究と同様に、クオンツ取引も膨大な非構造化データの解析を伴う。さらに、アンスロピックやパープレキシティといった企業は、金融サービス分野への展開も加速させている。
クオンツ系の金融企業が、競合他社に転職した元社員を訴えるケースは時折見られる。しかし、金融機関と直接競合しないAI企業への転職では、訴訟に発展する可能性は低い。多くの大手AI企業が拠点を構えるカリフォルニア州では、競業避止契約の締結が原則として禁止されている。
ホー氏は、ウォール街が競業避止契約によって自らの首を絞めていると指摘。「彼らはますます閉鎖的になっている」と語る。
一方で、AI企業による人材引き抜きに対抗しようとするウォール街側の動きも表れ始めている。
ハドソン・リバー・トレーディングでAI部門を統括するイアン・ダニング氏は5月、以下の内容をXに投稿した。
「オープンAIやアンスロピックなどで研究者として働いていて、過剰な採用や組織の混乱、採用基準の低下に嫌気が差していませんか? ニューヨークに移りたくありませんか? 何か違うことをしたくないですか? メールでもダイレクトメッセージでも、絵はがきでも構いません。ご連絡ください」
原題:Quants Earning Over $300,000 a Year Are Tempted by AI Startups(抜粋)
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