雑学クイズだ。日本の発酵研究所とニクソン米政権の農務長官、そして旧ソ連のアフガニスタン侵攻に共通するものは何か。

答えは、ケネディ米厚生長官が禁止すると公言している甘味料「高果糖コーンシロップ(HFCS、異性化糖)」が米国で普及する過程に関わったことだ。

米国がこの甘味料に依存するようになったのは、奇妙な歴史的出来事の積み重ねによるものだ。こうした経緯を知れば、ケネディ長官の改革が直面するであろう反発の背景が見えてくる。何しろ食品や飲料の流通に関わる産業全てに影響が及ぶ可能性がある。

200年余り前からある従来のコーンシロップ、つまりでんぷんから抽出されたブドウ糖とは異なる高果糖コーンシロップが開発されたのは第2次世界大戦後だ。日本の研究者たちが、トウモロコシを加工して新たな製品に変える方法を模索する中で誕生した。

彼らは微生物酵素「グルコースイソメラーゼ」によって、普通のデント(馬歯種)コーンを高甘味のシロップに変えられることを発見した。米国では高崎義幸博士らの研究が1971年にこの製法の特許を取得した。

この技術が注目を集めた背景には、ニクソン政権のバッツ農務長官の存在があった。数十年続いた農業政策を根底から覆す決断を下し、高果糖コーンシロップが市場に登場する土壌を整えた。

バッツ長官は作付面積を制限して価格を安定させるニューディール時代の農業政策を毛嫌いし、農業の大規模化と生産拡大を推し進めた。

同長官には強力な協力者がいた。食品加工大手アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド(ADM)を率いていたドウェイン・アンドレアス氏だ。

ウォール街のアナリストに「私から情報を得ようとするのは、アザラシにボディーチェックをするようなもの」と語ったこともあるほど、汚職まみれで秘密主義の実業家だったアンドレアス氏は、バッツ長官の生産拡大路線を支持するようニクソン大統領を説得した。

しかし、農家には当然、疑問があった。仮に小麦やトウモロコシを作り過ぎて価格が暴落したら、誰がそれを買うのか。国内需要では到底さばききれない。

だが、バッツ、アンドレアス両氏は、思いがけない買い手を71年に見つけた。凶作に見舞われ、家畜の飼料が不足していたソ連だ。

この取引は正式な貿易合意に発展し、ソ連は巨額のトウモロコシや他の穀物を買い付けるようになった。72年までに全米の収穫量の4分の1以上を買い取っていた。これにより、トウモロコシ価格は3倍に高騰し、米中西部で作付けブームが起きた。

価格が高過ぎたことから高果糖コーンシロップは当初、普及していなかった。しかし74年、事態は一変。国内の不作とソ連の買い付け、その他の混乱により砂糖の価格が5倍に高騰したのだ。

一方で、フォード政権になると、ソ連への穀物輸出は抑制され、トウモロコシは値下がりし、余剰在庫が生じた。

ジャムとコーラ

アンドレアス氏はこの余ったトウモロコシをさばくため、高果糖コーンシロップの生産施設の建設を急いだ。「サトウキビ糖」に代わる安価な甘味料として売り込みを図った。

最初に採用した1社が、ジャムメーカーのJMスマッカーだ。同社のポール・スマッカー最高経営責任者(CEO)は代替品の方が本物より優れていると主張。「高果糖は、製品の風味を引き立てるために私たちが求めてきたひと味を加えてくれる」と述べた。

だが、従来の甘味料である砂糖も値段が下がり始め、競争力を取り戻しつつあった。また、ソ連向けの輸出再開でトウモロコシも再び値上がりし、ADMの戦略は危機に直面した。

そんな中、皮肉にもソ連が再び救世主となった。ソ連が79年12月にアフガニスタンに侵攻したことを受け、カーター大統領は穀物禁輸措置を発動。トウモロコシの対ソ輸出が完全に終わり、価格が急落したことで、高果糖コーンシロップが格安の甘味料となった。そして、コカ・コーラが80年、一部のサトウキビ糖を高果糖に切り替えるという歴史的決断を下した。

これはADMにとって大きな追い風となったが、アンドレアス氏は手を緩めなかった。議会で巧妙な保護政策を成立させるよう動いた。露骨にトウモロコシ生産に補助金を出すのではなく、国内のサトウキビ業者を支援する形で砂糖の価格を高止まりさせたのだ。

この戦術は成功し、81年の連邦法で砂糖の輸入が制限された。結果として、米国内の砂糖価格は他国よりもはるかに高く維持されることになった。この法律は長らく国内サトウキビ業界への便宜と見なされ、ADMとトウモロコシが果たした役割は見過ごされた。

80年代半ばまでには、ほとんどの清涼飲料メーカーが高果糖コーンシロップに切り替え、この流れは他の食品メーカーにも広がっていった。高果糖の消費は2005年ごろにピークを迎え、それ以降は緩やかだが減少傾向にある。

ケネディ長官は今、これを全面禁止しようとしている。目標自体は評価できるかもしれないが、サトウキビ糖の方が健康的だという確証もない。

それでも、同長官が改革を成功させたいと願うなら、この高果糖コーンシロップがどのような歴史的経緯で食卓に上るようになったのかを理解することが出発点となるだろう。

(スティーブン・ミーム氏はジョージア大学の歴史学教授で、共著に「大いなる不安定」があります。このコラムの内容は必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません)

原題:America’s Corn Syrup Addiction Began With Deceit: Stephen Mihm(抜粋)

コラムについてのコラムニストへの問い合わせ先:New York Stephen Mihm smihm1@bloomberg.netコラムについてのエディターへの問い合わせ先:Jhodie-Ann Williams jwilliam1011@bloomberg.net

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