(ブルームバーグ):米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)のエバン・ゲルシコビッチ記者を含む16人の釈放につながったロシアと欧米の歴史的な囚人交換は、ドイツのショルツ首相が訪米した際、バイデン米大統領に対し個人的に約束したことで実現した。ただ、1日までは、その計画が成功するかどうかは、全く不透明だった。
ショルツ氏の2月9日の訪米時、バイデン氏は6カ国間の複雑な取り決めの一環として、ドイツで終身刑に服していたワジム・クラシコフ受刑者の釈放をショルツ氏に訴えた。
ショルツ氏は当初、消極的だった。クラシコフ受刑者は2019年、ベルリンの公園で白昼堂々とチェチェン共和国の分離主義者を銃撃、殺害した。犯行は、ロシアのプーチン大統領の個人的な命令によるものとされる。だが結局、ショルツ氏は、親しい友人と評するバイデン氏との関係を理由に譲歩した。
囚人交換の合意が発表された1日、サリバン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は「実際のところ、解決策を見つけ出そうとしていたのは2人だった」と記者団に語った。「それが全ての会話の本質であり、最終的に首相は『やろう』と大統領に言うことができた」とも述べた。
ショルツ氏は、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏も捕虜交換の対象となるという前提で合意していた。だが、ナワリヌイ氏は1週間後の2月16日、ロシアで収監中に死亡した。
ナワリヌイ氏が亡くなったとき、サリバン氏は偶然にもゲルシコビッチ氏の両親、エラ・ミルマン氏とミハイル・ゲルシコビッチ氏と面会していたと、米政府高官は明かした。ゲルシコビッチ氏はスパイ容疑で拘束された後、ロシアの裁判所で実刑判決を受けた。同氏とWSJは容疑を否定している。
米政府関係者によると、国家安全保障チームは、ナワリヌイ氏の死が、ゲルシコビッチ氏と、同じくロシアで拘束されていた元米海兵隊員ポール・ウィーラン氏の釈放を実現する取り組みに影響することを懸念していた。だが、サリバン氏はゲルシコビッチ氏の両親に、まだ希望はあると強調したという。
その後まもなくプーチン氏は、FOXニュースの元司会者タッカー・カールソン氏とのインタビューで、いかなる取引もクラシコフ受刑者の釈放を条件とする考えを示した。プーチン氏「私たちには、特殊機関間のルートを通じ協議されている一定の条件がある。合意に達することができると信じている」と述べた。
一方、ドイツ当局は、クラシコフ受刑者が囚人交換の対象に含まれている可能性があるという報道を繰り返し否定した。ショルツ氏はこの件について質問されるたび、コメントを避けた。
米政府関係者によると、7月21日、バイデン氏がスロベニアのゴロブ首相に電話をかけ、同国でスパイ容疑で拘束されているロシア人2人の釈放を求めた後、最終的な取り決めがまとまった。
81歳のバイデン氏にとって、激動の1日だった。約1時間後、バイデン氏は大統領選からの撤退を発表した。
ショルツ氏は1日夜、ついに沈黙を破り、交換で釈放されたドイツ国民を出迎えるため夏休みを中断した。
ショルツ氏はドイツのケルン空港で、「終身刑の殺人犯をたった数年で釈放するという決定を、誰も軽々しく下してはいない」と述べた。自国民を守るという政府の義務と、米国との連帯の方がより重要だと、ショルツ氏は強調した。
バイデン氏は1日、ショルツ氏に「大きな感謝の念」を抱いていると述べた。「ロシアからの要求は、ドイツからかなりの譲歩を引き出すことを私に求めるものだった。ドイツは当初、問題の人物を理由にそれは不可能だと結論付けていた」とホワイトハウスで語った。
原題:How Biden Persuaded Scholz to Release a Top Kremlin Assassin (2)(抜粋)
--取材協力:Jordan Fabian.
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