1つ目の説:故意に沈められた

湖の中に祭祀を行う場所があり、そこに供えられた供物を入れた器として沈められた。

装飾が施された土器(脚の部分)

2つ目の説:積み残しの荷物

湖で船を使って荷物を輸送した際、船着場に積み残した器類が沈んだ

3つ目の説:集落が水没

現在湖底となっている一部は当時、地上にあり、そこに形成されていた集落が沈んだ。

1つ目、2つ目の説について杉本学芸員は、説明がつかないことがあると言います。

土器の発見範囲は湖の東岸ですが、それを図にしたものがあります。

遺跡詳細分布調査報告書 上九一色村教育委員会(1998) より抜粋

それによりますと、その範囲は南北に約600mにわたって点在しています。土器の発見場所が仮に祭祀場や船着場だとしたら、もっと限定的な範囲に留まるはずで、この2つは考えにくいといいます。

でも、集落が水没するなど、あり得るのでしょうか?あるとすれば、その原因とは?