SL支えた重要な遺構

小郡地区にある旧桂ヶ谷貯水池堰堤です。えん堤とは小さなダムのことで、現在は水をためてはいませんが、レンガ造りの姿が当時をうかがわせます。ダムとSL、無関係にも思いますが、蒸気を作るための水の確保はSLが走る路線には必要不可欠でした。

重田さん
「機関区をつくる条件は機関車が使う水の確保でしたから」

えん堤は路線の誘致合戦に勝つため、そして当時生活用水の確保を求める声と相まって建設が進められました。現在は国の有形登録文化財に指定されています。

小郡駅は山陽と山陰結ぶ拠点に

山口線は1923年、大正12年に島根県の津和野から益田駅までが開通したことで全線開通しました。山陽と山陰を結ぶ路線の拠点となった小郡駅は、全国でも有数の鉄道基地になりました。花形だった機関士をまとめる機関士長は駅長よりも格上で、厚い待遇を受けていたそうです。

小郡ならでは「初号機そろい踏み」

こちらの写真には、3台の機関車が並んで写っています。プレートにある最後の番号はすべて「1」です。これはその型式の最初に製造されたいわば「初号機」を意味するもので、そろい踏みが実現したのは小郡ならではといえます。重田さんは1台1台がクセのある機関車を操ることは、まるで人と人との対話のようだったと言います。

重田さん
「総合的なもんじゃからどこを変えたら直るというもんじゃないからどうしても、できのいいのとできのわるいのがあるわけ。人間と全く一緒」