
■落合拓磨さん(中道・新)
皆さん、おはようございます! 衆議院議員候補、山形3区、落合拓磨でございます。 本日はこの寒い中、皆様お集まりいただきまして、そして大変熱い激励のお言葉をいただきまして、本当にありがとうございます!
そして、1週間前にはこの事務所、何もありませんでした。この事務所を一から作り上げてくださった皆様、本当にありがとうございます。
私は山形県内の小さな兼業農家に生まれました。 じいちゃんは大工と農業をしながら、そして父も農業と、そして会社に勤めながら私を育ててくれました。この場を借りて、両親、そしてじいちゃん、ばあちゃんにも感謝を申し上げたいと思います。
「失われた10年、20年、30年」と言われてきました。 私の父は高校卒業してからすぐに会社へ勤めまして、一生懸命私を育ててくれましたが、ボーナスのない、そんな時が長く続きました。母は私と妹を産んでから少し体調を崩しまして、その後、おせんべい屋さんだったり、派遣の仕事をしたり、今は介護をしながら私を育ててくれました。
母は私に悲しい顔を見せたことがありました。クリスマスの時です。「丸いケーキを買ってあげられなくてごめん」と、私と妹に言いました。なぜ、介護をして、日勤、準夜勤、夜勤と体を削って私と妹を育ててくれた、そんな一生懸命な母が、私にそんな顔をしなければならないのか。
まさに、汗を流すところが報われる、給料がしっかりと上がっていく、そんな社会を今こそ実現しなければなりません!
私の志の原点は、東日本大震災でございます。太平洋側の町が被災して、「山形は大丈夫か」と言えば、雪の降るあの3月に石油も灯油も入ってこない。私も父と一緒にガソリンスタンドに並びました。
これからの日本は太平洋側に頼り切りになるのではなくて、危機の時には太平洋側を支えてあげられるくらい、この日本海側が強くならなければいけないと、私は確信をしております!
一昨年7月には、最上・新庄を、そしてこの庄内を大雨が、豪雨災害が襲いました。県内最大の被害をもたらした、あの豪雨災害でございます。
私の名前「落合」は、川が落ち合うところ、これに由来するそうでございます。実際、私の家の裏には一級河川が流れ、最上川をはじめ4つの河川が流れ落ち合う、そんな地域で生まれ育ちました。
まさにこの庄内・最上を襲った豪雨災害、他人事ではないと思ってボランティアにも参加させていただき、泥をかいて、汗をかいて、そして声を聞いてまいりました。それがご縁で、今はここ酒田に住んでおります。
「川を治める者が国を治める」と武田信玄もおっしゃいました。まさにこの川の問題、水の問題、命を懸けて、人生を懸けて私は取り組んでまいります!災害に強く、危機に強く、そして人に優しい、そんな日本列島をここ庄内・最上から作っていこうではありませんか!
今回の選挙戦、私、初陣でございます。 若さと元気、まさに明るく、批判ではありません。政策で勝負。明るい未来を語る選挙戦にしていきたいと思います。皆様ぜひ笑顔で、笑顔の選挙戦やっていこうではありませんか!
さあ、賽は投げられました。 このサイコロの目、どちらを向く目が出るのか。私たち国民の、生活者のほうを見ている目なのか。あるいは独りよがりの、権力の椅子に座り続ける、そういった自己中心的な目なのか。
サイコロは投げられたわけでございますが、この「何が出るか」、この目を決めるのは、天でも運でもありません。私たち一人ひとりのこの選択で、この目を生活者、この庄内・最上に生きる人々、その生活へと向けようではありませんか!
私はここで「大ボラ」を吹かせていただきたいと思います。 私はこの日本海から朝日が昇る、そんな日本を作り上げてまいります! 西から太陽が昇るのはバカボンの世界だ、そういうふうに言われてきたわけでございます。自然に任せていては、太陽は太平洋側からしか昇りません。
しかし、不可能を可能にするのが人の力であり、そして政治の力だと私は確信しております! まさにこの日本海側から、この日本全体に、そして生活者一人ひとりに陽が当たる、そんな政治をここから皆様と一緒に作り上げていこうではありませんか!
今回の選挙は、その主役は私ではありません。まさに皆様お一人おひとりが主役の選挙戦です。 戦後最短のこの総選挙、一方的ではありません。まさに対話で、双方向の選挙戦で、皆様の声から政策を、そして未来を切り拓いていく。その決意を申し上げまして、この12日間の選挙戦、必死に、最後の最後の最後まで戦い抜いてまいります!
皆様のお力添えを、どうぞ落合拓磨へよろしくお願い申し上げます! 必ず勝利を私たちの手に握ろうではありませんか!ここから始めていきましょう!
終わります……終わりではありません、ここから始めます! ありがとうございました!







