原発事故の避難者などが国と東京電力を訴えた裁判で17日、注目の判決が言い渡されます。全国でおよそ30ある集団訴訟のうち4つの裁判で、最高裁が初めて、国の責任について統一した判断を示します。原告数が最も多い生業訴訟、そして愛媛、群馬、千葉の集団訴訟です。

いずれも東電の責任はすでに確定していますが、国の責任について、高裁では、群馬だけが認められず、判断が分かれています。原発事故の裁判が、大きな節目を控える中、原告たちのいまを取材しました。


相馬市でスーパーマーケットを営む中島孝さん。中島さんは、原発事故で最大規模の訴訟「生業訴訟」の原告団長を務めています。

生業訴訟原告団・中島孝団長「原発事故の爆発で一切商売、再建の見通しが立たないということでずっと落ち込んだままで無収入になった人が多かった。こちらの窮状を訴えるところから、生業訴訟が始まった」

2013年に生業訴訟が始まった。

2013年、およそ800人の原告から始まった裁判は、現在3500人あまりにまで増えました。原発事故によりふるさとが奪われたとして慰謝料などを求めてきたこの裁判。今年3月に最高裁は、東電の賠償責任が確定し、国の責任については17日、判決が言い渡されます。原発事故から11年あまりが経ち、ようやく、司法の最終判断が示されることになります。


中島団長「国はきっちりと安全規制、しかるべき規制権限責任を持っているわけですから、きっちりと責任を果たさないとまた同じ事故を繰り返す」

原発事故は、中島さんの店にも影響を与えました。

中島団長「スズキという魚。地元の原釜で水揚げされた」

それは放射性物質による水産物の被害です。


中島団長「ここの魚って本当に宝物なんだと思って。原発事故のあと提供できなくなって、ほかの産地の魚を使ったときに痛感した」

地元・相馬で水揚げされた常磐ものは店一番の売りでしたが、原発事故後、水揚げが規制され売り上げは激減しました。

中島団長「豊かな海にどっぷりとはまって、商売をしてきた。それがバッタリと絶たれた時に、自分たちがどんな不自由で貧しい状況に落ち込むか落差がひどくて」

去年、試験操業が終わり、本格操業に向けた移行期間に移りましたが、風評被害は根強く、現在、店舗の売り上げは事故前の7割程度に落ち込んでいると話します。

中島団長「風評は本当に深刻なんだよ。心配するなと言っても、放射能は生活に直接関係ないもの。味わった怖さは人間は本能的にどこまでも拒否し続ける」


原発事故を巡る国の責任は…。中島さんは、国策に翻弄された被災者に寄り添った判断を司法に求めています。

中島団長「司法が我々の暮らし向き、命や健康を守る判断をこの原発事故の裁判を基本にして判断してくれれば。まっとうな司法の役割が発揮されることを本当に期待しています


一方、県外に避難した原告も判決を待っています。今月3日の南相馬市小高区で田植え作業に追われる渡部寛志さん。南相馬市から愛媛に避難し、2017年から、1000キロを往復して、2つの地域で、農業を営んでいます。

愛媛の集団訴訟の原告として、最高裁でも弁論に臨んだ渡部さん。8年前に訴えを起こした際には、もっと早く国が責任を認めるものと思っていました


渡部さん「提訴してから8年ですか、事故が起きてから11年。その間、2歳だった次女は13歳になり、まだ小学校前の長女が高校3年ですからね。この時の経過は、非常に悔しいというか、むなしく過ぎていった11年かなと感じなくもないですけどね

愛媛と小高を拠点に、生活をしてきた渡部さんの家族でしたが、避難生活の考え方の違いから離婚し、家族はバラバラになりました。


渡部さん「子どもたちが一番大事なときの11年間が、原発事故のゴタゴタや家族の分断があった。辛い目に遭ってきたのは子どもたちかなとも思うし、子どもが望む、まともな社会を作っていくようなスタートにしなくちゃダメかなと

原発事故がなければ…。そんな思いを抱えながら、11年が過ぎました。裁判は大きな節目を迎えます。

渡部さん「当たり前の判決が出てほしいと思ってますというか、出るだろうと信じています」