判決から1年『胸を張れる国になっているか?』

思い悩む日々が続く中、判決から1年が経った今年6月には、同じように判決が確定した他の裁判の原告たちとともに街頭に立ち、道行く人に自分たちの思いを訴えました。また、最高裁には請願書を手渡しました。

「救いとしてはあの判決文があまりにひどい判決文なので、そこまで多くの人が納得できない判決文を書いてくれたということは、逆に今後につながることかなと」

渡部さんは、今後も二拠点生活は続けながら、小高での稲作を広げる計画です。また、愛媛では薄れゆく震災の記憶を若い世代につなぐ活動も予定しています。

『今後はもう二度と原発事故を起こしません』と、胸を張れる国になっているかと言ったら、非常に怪しいわけで、解決してほしいことが解決できぬまま年月が流れていって、風化している。だから危機感は感じてますよね。年月が流れれば流れるほど、裁判に関しても世の中の関心は薄れてしまって、当事者だけが騒いでるみたいな形になってしまうのは、より余計に問題の解決から遠くなってしまうことだと思います」