三國翼さん「大学生のころに右肩の関節唇を損傷して手術もした。(ほかの選手が)うらやましいという思いがあった。野球をやめたいと思った。」

高校時代はキャッチャーとして仙台育英でプレーし、大学でも続けた三國さん。ただがむしゃらに練習し、酷使し続けた肩は大学1年生の時に悲鳴を上げ、手術を余儀なくされました。

高校時代の三國翼さん。大学1年生で右肩を手術した。

三國翼さん「(肩の痛みで)上のものを下ろせない。シャンプーもできない。いい投げ方、正しい投げ方でなかった」

高校時代は熾烈なメンバー争いのなかで、肩の痛みを言い出せなかったといいます。

三國翼さん「そこで試合に出なくなれば自分の居場所がなくなるのではないかという不安もあった」

自分と同じ思いはしてほしくないと話す三國翼さん。指導者と選手の橋渡しをするのが理想だ。

だからこそチームの指導者と選手の間に立って、橋渡しのような立場でありたいという三國さん。最後にこう願いを込めます。

三國翼さん「あの頃の思いは今の時代の選手にはしてほしくないし、これからもしてほしくない。選手たちの支えになれればいい」