「もの言えない風土が命を奪う」
こんな質問から講演は始まりました。
田村孝行さん:
「皆さん、会社組織に属して自分の命を失うと感じたことありますか?なかなかいないかもしれません。私もサラリーマン時代はそうでした。皆さんの会社組織で従業員の命を守るための仕組み、態勢づくりはできているでしょうか」

あの日なぜ、より安全な高台に向かうことができなかったのか、屋上で津波に飲まれてしまったのか。唯一助かった行員の証言によると、亡くなった健太さんは屋上に上った後、高台にも逃げられるのではないか、という話をしていたと言います。「避難訓練を重ねるなど備えが十分であれば、屋上と高台、どちらがより安全か事前にわかったはず」震災発生から15年近く経つ今も、その思いに一切の揺らぎはありません。
田村孝行さん:
「1人が奇跡的に生還したが12人が犠牲になり今も15年近く経っても8人が行方不明のままなのです。事前の安全計画と訓練の不備、そしてものを言えない風土が命を奪った事故だと考えている」

最後に撮られた4人家族の写真。震災のおよそ1年前、たまには外食をと出かけたレストランで撮影してもらったものだと言います。「普段は写真に入りたがらない息子がこのときはすんなり収まって…、あの日に戻れたら」講演では本音もこぼれました。

田村孝行さん:
「健やかに太くたくましく生きて欲しいという願いを込めて健太という名前をつけた。その名の通り少しやんちゃ坊主でたくましく育ってくれた。ここには息子の姿は見えないですが一緒にここで話をしていると思う。彼の命を価値あるものにしなければならない」
従業員一人ひとりに大切な人がいるという当たり前のこと。「BCPは経済活動を続けるためのものですが、その前に従業員の安全や命を守ることを最優先にしてほしい」と孝行さんは訴えました。

参加者:
「自分の従業員がいればしっかり守っていく。自分の命もですが、しっかり取り組んでいかないといけない」
田村孝行さん:
「被災地なのでみんな見ている。やはりそれを生かさないと、それを生かしていろいろな所に発信するトップランナーの県となっていく必要性はあると思う」
「安全対策に終わりはない」これからも未来の命を救うため伝え続けます。
当時の七十七銀行女川支店での避難行動を巡り、田村孝行さんと弘美さんは他の2遺族と共に2012年に提訴。1審2審ともに訴えは退けられています。2審の仙台高裁は2015年、「高台に避難していれば助かった可能性は大きい」と1審に比べ踏み込んだ判断を示したものの「屋上を超す津波の予見は難しく法的責任は問えない」として控訴を棄却しました。その後、最高裁が上告を棄却し判決は確定しています。







